辰鼓楼の概要
辰鼓楼の高さは、木造の4層からなる本体が13メートル、そしてそれを支える石垣が5メートルです。この塔は、1871年(明治4年)に建設され、当初は太鼓を使って時を知らせる役割を果たしていました。1881年(明治14年)には、地元の医師である池口忠恕が機械式の大時計を寄贈し、時計台として稼働を始めました。日本国内で二番目に古い時計台としても知られています。
辰鼓楼のなりたち
辰鼓楼が建てられたのは1871年6月1日(明治4年4月14日)のことです。当初、この楼閣は「辰の刻」を知らせる太鼓を叩くために使用されていました。藩主の登城を知らせるためのものであったという説もあり、地元の人々にとって重要な役割を果たしていたと考えられます。
1881年、旧藩医であった池口忠恕が大病を患った際、地元の人々からの見舞いや全快祝いへの感謝の意を込めて大時計を寄贈し、辰鼓楼に設置されました。この時計は、オランダ製であったとの説がありますが、東京や長崎で技術を学ばせるために青年が派遣されたという記録もあり、詳細については諸説あります。
修復工事とその後
辰鼓楼は2017年(平成29年)5月から10月にかけて修復工事が行われました。この工事中、内部の見学会も開催され、多くの地元住民や観光客が参加しました。修復後も、時計台としての機能を維持しつつ、地域のシンボルとして親しまれています。
辰鼓楼の歴史的意義
出石は、かつて城下町として栄えた歴史ある地域であり、辰鼓楼はその象徴的存在です。1881年に札幌市時計台が稼働したため、辰鼓楼は日本で二番目に古い時計台とされていますが、出石の町とともに歴史を紡いできました。
辰鼓楼に関する調査
2021年(令和3年)、出石の弘道小学校に残されていた日誌をもとに、辰鼓楼が時計台として稼働を始めた正確な日付が調査されました。その結果、1881年(明治14年)9月8日であることが確認されました。この調査結果はNHKで特集され、SNSなどで多くの人々から「潔い」との好意的な評価を受けました。
さらに、2023年には、辰鼓楼の時計が日本製であるかどうかを確認するための本格的な調査が行われました。NPO法人「但馬國出石観光協会」が兵庫県立大学に依頼し、調査委員会が組織され、2028年3月までに分析結果が取りまとめられる予定です。
辰鼓楼のアクセスと周辺情報
辰鼓楼へのアクセスは、山陰本線・京都丹後鉄道の豊岡駅または山陰本線の八鹿駅から全但バス「出石」行きに乗り、約30分で到着します。終点で下車後、徒歩5分の距離にあります。
周辺の観光スポット
- 豊岡市出石伝統的建造物群保存地区
- 出石城跡
- 出石家老屋敷
- 伊藤清永美術館
これらのスポットは、出石の歴史と文化をより深く知るために訪れる価値のある場所です。辰鼓楼と併せて、ぜひ訪れてみてください。