寺院の概要
満福寺は、養父市の中心部からほど近い場所に位置し、古くから地域の人々に親しまれてきました。この寺院は、真言宗の教えを基にしており、その歴史と文化的な価値から多くの参拝者が訪れる場所です。
満福寺の歴史
天平年間の創建
伝承によると、満福寺は天平年間(729年-749年)に行基によって創建されたとされています。行基はこの地を訪れ、寺院を建立したと伝えられています。
空海の訪問と真言密教の道場
その後、弘仁年間(810年-824年)には、空海(弘法大師)がこの地に来錫し、真言密教の教義に基づいた修行道場を開いたとされています。これにより、満福寺は真言宗の重要な拠点となりました。
熊野信仰との関わり
満福寺が位置する「十二所」という地名から、かつてこの地には「熊野十二所権現」が奉られていたと考えられています。中世には、但馬地方における熊野信仰の拠点としても機能していた可能性があり、現在も観音堂の横には「熊野権現」が祀られています。
戦乱による焼失と復興
天正年間(1573年-1592年)、豊臣秀吉の但馬侵攻により、満福寺は兵火に遭い、伽藍が焼失しました。しかし、江戸時代には復興が進み、十七坊を有する大寺院として再び栄えました。
近世の満福寺
江戸時代には、学徳に優れた弘元上人が住職を務め、「但馬の弘法大師」と称されました。また、幕末には「但馬聖人」と称された池田草庵が幼少期に修行した寺院としても知られています。現在、満福寺周辺には遊歩道などが整備され、参拝者が散策を楽しむことができる環境が整っています。
満福寺の文化財と所蔵品
満福寺の所蔵文書
満福寺には、以下のような貴重な文書が所蔵されています。
- 『新宮山大蔵書』約3000冊
- 『新宮山満福寺田地付帳』文明18年(1486年)
- 『新宮山満福寺記』弘鳳上人識、弘化2年(1845年)4月18日
- 『中院流傳授目録併聞書・弘補』弘元上人筆
境内の文化財
満福寺の境内には、多くの歴史的な建造物や文化財が点在しています。
- 仁王門
- 本堂(客殿):嘉永元年(1848年)に焼失し、嘉永5年(1852年)に再建されました。
- 観音堂:明暦元年(1655年)に再建され、文政8年(1825年)に再々建されました。
- 古墳(5世紀):本浄院観音堂の真下に位置します。
指定文化財
満福寺には、養父市によって指定された文化財が数多く存在します。
- 宝篋印塔 - 康永2年(1343年)建立
- 満福寺塔
- 『柿本人麻呂像』一幅 - 紙本墨画(軸装)、式部卿法眼蛇足十世平潔明筆
- 『不動明王像』一幅 - 絹本着彩(額装)
- 『愛染明王像』一幅 - 絹本着彩(額装)
- 『商山四皓図』- 障壁画、鈴木百年筆
- 書 一幅 - 満洲国皇弟・愛新覚羅溥傑筆
交通アクセス
満福寺へのアクセスは以下の通りです。
鉄道
JR山陰本線・八鹿駅からバスで20分です。
道路
一般道および高速道路を利用してアクセス可能です。
但馬三十三観音霊場
満福寺は、但馬三十三観音霊場の第七番札所にあたります。周辺の札所としては、次の通りです。
- 第五番・観音寺 - 兵庫県豊岡市日高町観音寺
- 第六番・明禅寺 - 兵庫県豊岡市日高町森山
- 第八番・神光寺 - 兵庫県養父市上野
- 第九番・泉光寺 - 兵庫県養父市大薮
周辺の見どころ
満福寺の周辺には、歴史的な名所や自然豊かな観光スポットが点在しています。参拝の合間に周辺の観光も楽しむことができます。