玄武洞の概要
玄武洞の特徴的な奇岩は、柱状節理が発達している点にあります。1926年に発表された「史跡・名勝・天然記念物調査報告書」では、玄武洞は海食洞とされていましたが、2000年代に行われた現地調査では、侵食基準面に対応しないという指摘がなされています。成因については、採石場跡(人工洞窟)とする説と、海食洞または河食洞を採石場として拡大したとする説に分かれており、火山活動との関連性は指摘されていません。
江戸時代の玄武洞
江戸時代には、玄武洞で灘石(六方石)と呼ばれる石の切り出しが行われており、城崎温泉の大谿川護岸にも利用されました。江戸時代初期には採石が進み、窪みが大きくなったため、1763年に刊行された『但馬湯嶋道中独案内』では、玄武洞を「珍敷石山」「石柱洞」「峰窩洞」と呼んでいた記録が残っています。文化4年(1807年)6月25日には、儒学者の柴野栗山がこの地を訪れ、「玄武洞」と名付けました。
地学上の意義
地質学的に見ると、東京大学の地質学者・小藤文次郎は、basaltの訳語として「玄武岩」を当てましたが、これは玄武洞に因んで命名されたとされています。また、京都帝国大学の松山基範は、玄武洞の玄武岩層を調査する過程で、地球の磁場が逆転する現象を発見しました。この発見は「松山期(松山逆磁極期)」として知られています。
玄武洞の整備と保護
玄武洞は2007年に日本の地質百選に選定され、さらに2021年から2022年にかけて、国の天然記念物である玄武洞と青龍洞の前に観覧用の基壇を設置する工事が行われました。この工事では、休憩棟やトイレ、園路の整備も行われ、公園の整備と維持保全費をまかなうため、2022年8月1日から玄武洞公園は有料化されました。
玄武洞の歴史
- 1807年(文化4年)6月 - 柴野栗山が玄武洞と命名。
- 1884年(明治17年) - 小藤文次郎によって「玄武岩」という岩石名が付けられる。
- 1925年(大正14年) - 北但馬地震で大きく崩落。
- 1926年(大正15年)3月 - 松山基範が世界で初めて地磁気の逆転を発見。
- 1929年(昭和4年) - 松山基範が地球磁場の反転説を世界で初めて発表。
- 1931年(昭和6年)2月 - 玄武洞および青龍洞が国の天然記念物に指定。
- 1943年(昭和18年) - 鳥取地震で大きく崩落。
- 1956年(昭和31年)1月 - 玄武洞公園が都市公園に指定。
- 1963年(昭和38年)7月 - 玄武洞を含む周辺一帯が山陰海岸国立公園に指定。
- 2007年(平成19年)5月 - 玄武洞公園の洞窟が日本の地質百選に選定。
- 2007年(平成19年)12月 - 玄武岩が豊岡市の石に指定。
- 2009年(平成21年)2月 - 日本ジオパーク(山陰海岸ジオパーク)の認定を受ける。
- 2009年(平成21年)5月 - 公園内を案内するガイドが配置。
- 2009年(平成21年)11月 - 玄武岩をイメージした豊岡市のマスコットキャラクター「玄さん」が登場。
- 2010年(平成22年)10月 - 世界ジオパーク(山陰海岸ジオパーク)の認定を受ける。
- 2021年(令和3年)10月 - 工事のため一時閉鎖(観覧用基壇設置、休憩棟・トイレ・園路整備)。
- 2022年(令和4年)8月1日 - 玄武洞公園の有料化。
玄武洞公園の洞窟
玄武洞公園内には以下の洞窟があります。
- 玄武洞(国の天然記念物): 公園の中心にある最も大きな洞窟。玄武岩の柱状節理を見学できる。
- 青龍洞(国の天然記念物): 高さ33メートルの洞窟。15メートルに及ぶ長い柱状節理が特徴。
- 白虎洞: 水平方向に伸びた柱状節理と、その断面を間近に観察できる。
- 南朱雀洞: 節理を至近距離で観察できる。
- 北朱雀洞: 垂直方向の節理が上部に向かって水平方向に変化する様子を観察できる。
周辺施設
玄武洞公園の周辺には以下の施設があります。
- 玄武洞ミュージアム: 世界の石の博物館、特産品、土産物、レストランを併設。
- 豊岡杞柳細工ミュージアム: 地元の伝統工芸品を展示。
- 玄武洞観光センター(展望台): 土産物や休憩所があり、展望台からの景色が楽しめる。
- 休憩所: 無料案内受付、展示コーナー、自販機が設置されている。
- 玄武岩の「玄さん」の顔出し看板: 記念撮影用の看板。
- トイレ: 玄武岩をモチーフにした装飾が施されている。
- 渡し舟: 玄武洞公園と対岸のJR山陰本線・玄武洞駅を結ぶ。
交通アクセス
玄武洞公園へのアクセスは以下の方法があります。
飛行機
コウノトリ但馬空港から空港連絡バスで豊岡駅または城崎温泉駅下車、その後は鉄道利用。
鉄道
- JR山陰