神社の概要
有子山稲荷神社は、出石城の最上段である本丸よりもさらに一段高い場所にある曲輪「稲荷郭」に鎮座しています。この場所は、1604年の築城時から現在まで城の鎮守としてその役割を果たしています。城郭内に位置しながらも、江戸時代からは身分を問わず多くの参詣者が訪れることを許されていました。
この神社へと続く参道は、出石城の麓から始まる石段で構成され、途中には37基の鳥居が並んでいます。157段の石段を登ると、右手に稲荷郭があり、その奥に社殿が佇んでいます。ここからは出石の町並みを一望できるため、多くの参拝者が訪れます。
さらに石段を進むと、有子山城跡へと至り、歴史的な風景と自然の美しさを堪能することができます。
出石城跡と有子山稲荷神社
出石城は、その歴史的な背景から2度の移転を経た後、1604年に有子山の麓に永住の地を見つけました。明治時代(1868年〜1912年)には、明治維新の影響で城の一部が倒壊しましたが、隅櫓(角に設けられた櫓)は1968年に復元され、登城門と登城橋も1994年に再建されました。
出石城の石垣と城の足下を囲む掘は今もそのままの形で残り、訪れる人々に歴史の重みを感じさせます。出石城は山麓の丘に建てられており、城跡からは広大な景色が広がります。特に、春の桜の季節には、城跡から見渡す景色は絶景です。
出石城跡に隣接する長い石段には、約40基の赤い鳥居が立ち並び、有子山稲荷神社へと続いています。この石段を歩いて登ると、周囲を老木と豊かな緑に囲まれた静寂な境内へと到達します。この神社からは、400年以上変わらない出石城下町の広大な町並みを一望でき、訪れる人々に歴史の息吹を感じさせます。
有子山稲荷神社の例祭
有子山稲荷神社では、毎年3月の第3日曜日の前後3日間に「出石初午大祭」が開催されます。この祭りは、地域の人々や参拝者にとって重要なイベントであり、伝統的な祭事が行われます。
有子山城の歴史
但馬守護所としての役割
有子山城(ありこやまじょう)は、兵庫県豊岡市出石(但馬国)にかつて存在した日本の山城です。この城は、此隅山城跡とともに「山名氏城跡」として国の史跡に指定されており、また、出石城とともに続日本100名城(162番)にも選定されています。
天正2年(1574年)に、山名祐豊がこの城を築いたとされています。山名氏は元来、此隅山城を居城としていましたが、永禄12年(1569年)に織田信長の家臣、羽柴秀吉の攻撃を受け、此隅山城が落城しました。その後、堺から帰国した山名氏は有子山に新たに城を築きました。
有子山城の名称の由来
落城した此隅山城の名が「子盗」(此隅)を連想させることから嫌われ、新たに「有子」と名付けられました。有子山城は山頂に主郭があり、その西側には6段の階段状の郭、東南には千畳敷と呼ばれる郭が配置されていました。
しかし、天正8年(1580年)、山名祐豊の子である氏政(堯熙)が城主であった際、木下秀長の但馬侵入によって城は攻め落とされ、氏政は因幡国に逃れました。
織豊時代の有子山城
その後、有子山城は羽柴長秀、青木秀以、前野長康、小出吉政が城主となりましたが、最終的には吉政による出石城の築城によって廃城となりました。
交通アクセス
有子山稲荷神社へのアクセスは、山陰本線または京都丹後鉄道の豊岡駅、もしくは山陰本線八鹿駅から全但バス「出石」行きで約30分、終点で下車後、徒歩5分で到着します。
周辺の観光スポット
有子山稲荷神社の周辺には、豊岡市出石伝統的建造物群保存地区や感応殿、諸杉神社、有子山城など、見どころが豊富にあります。これらのスポットを訪れることで、さらに豊かな歴史と文化に触れることができます。