ムーセ邸の概要
ムーセ旧居は、明治初頭に生野鉱山で働く外国人技術者のために建設された5棟の宿舎(個人住宅)のうちの一つで、フランス人技師ムーセの住居として利用されていました。ムーセが日本を離れた後、この建物は鉱山が発見された神子畑に移築され、事務所兼診療所として再利用されました。
鉱山閉山後の運命
鉱山が閉山した後、この建物は「ムーセ旧居」として親しまれるようになりました。しかし、長年の間メンテナンスが行われず、建物の老朽化が進んでしまいました。そのため、2002年(平成14年)7月から2004年(平成16年)3月にかけて、保存のための解体修理が行われました。
改修後の活用
修復されたムーセ旧居は、現在「ムーセ旧居資料館」として、神子畑鉱山や神子畑選鉱場などに関連する資料が展示されています。また、写真美術館「ムーセハウス写真館」としても利用されており、写真家織作峰子の作品が展示されています。ムーセ旧居は、兵庫県指定重要文化財に指定されており、ひょうごっ子ココロンカードの対象施設にもなっています。
ムーセ旧居の歴史
年表
- 1868年(慶応4年) - フランス人鉱山技師ジャン・フランソワ・コワニエが生野鉱山に雇用される
- 1871年(明治4年) - フランス人地質家エミル・テオフィール・ムーセが雇用される
- 1872年(明治5年) - 生野に外国人官舎(うち1棟がムーセ旧居)が建設される
- 1878年(明治11年) - 神子畑鉱山で銀鉱脈が発見される。コワニエが解雇される
- 1880年(明治13年) - ムーセが解雇される
- 1888年(明治21年) - ムーセが暮らした官舎を神子畑に事務舎として移築
- 1992年(平成4年)3月24日 - 兵庫県有形文化財(建造物)に指定される
- 2004年(平成16年) - ムーセハウス写真館を開館
- 2017年(平成29年) - 構成文化財として日本遺産に認定される
ムーセ旧居の建築データ
ムーセ旧居は、1872年(明治5年)に建設されました。その設計者は、J.レスカスと推定されています。建築面積は174.31平方メートルで、木造平屋建ての方形造桟瓦葺きの構造を持ち、玄関にはポーチが付いています。この建物は、兵庫県朝来市佐嚢1826番地の1に位置し、現在は朝来市が所有・管理しています。
アクセス
公共交通機関
ムーセ旧居へは、JR播但線・新井駅から全但バス「神子畑」行きの終点で下車することでアクセスできます。
車でのアクセス
車を利用する場合、播但連絡道路・朝来ICを降り、国道429号を西に約15分進むと到着します。
周辺施設
- 神子畑選鉱場
- 神子畑鋳鉄橋
- 神子畑交流館
ムーセ旧居の見学とともに、周辺の歴史的なスポットもぜひお楽しみください。