概要
観音寺は、豊岡市にある観音寺川の北側、観音寺山(鶴ヶ峰)の山腹南東側に位置しています。この地はかつて「観音寺村」と呼ばれ、村名や山名、川名すべてがこの寺院に由来しています。この地域は観音寺の歴史と共に発展し、約1300年もの歴史を有する北兵庫でも屈指の古刹となっています。
歴史
観音寺の創建は、天平21年(749年)に行基が但馬国を訪れた際に、十一面観世音菩薩を安置する堂を建立し、国家鎮守と郷土豊楽を祈願したことに始まります。その後、寛仁元年(1017年)には恵心僧都によって中興され、一山九坊の伽藍を有する寺院となり、久安年間(1145年-1151年)には近衛天皇の勅願所として格式を高めました。
南北朝時代の至徳年間(1384年-1387年)には、城崎温泉寺の清禅和尚によって但馬西国第五番札所に定められました。天正年間(1573年-1592年)には豊臣秀吉の但馬侵攻により兵火に遭い、伽藍が焼失しましたが、その後再建され、現在に至っています。本尊の十一面観世音菩薩は行基作と伝えられており、現在でも本堂、庫裏、鐘楼、仁王門が残されています。
戦災や火災の被害にもたびたび見舞われましたが、周囲の信仰を集め再興を遂げ、寺歴を継承してきました。現在の住職は山本良年法印であり、観音寺を再中興した大僧都大阿闍梨豪賢法印から数えて第20世にあたります。
御詠歌
「千里ある、道と佛の志。貴きからに、わけざらめやは」(信貴山 観音寺)
中興祖・恵心僧都と千年遠忌
観音寺の中興祖である恵心僧都(源信)は、平安時代中期の天台宗の僧であり、日本の浄土教の祖として知られています。彼は法然や親鸞にも大きな影響を与え、浄土真宗では七高僧の第六祖とされています。そのため、恵心僧都の千年遠忌(2016年)には、天台宗・浄土宗・西本願寺が宗派の枠を超えて合同で延暦寺(天台宗総本山)において大法要が営まれました。また、2017年2月には、天台宗総本山・延暦寺の座主を導師に迎え、浄土宗総本山・知恩院と浄土真宗本願寺派本山・西本願寺においても法要が執り行われました。これは、天台宗最高位の座主が両寺で法要を営む史上初の出来事でした。
所蔵品
観音寺は数多くの貴重な所蔵品を有しています。その中には、近衛天皇の御位牌や、伝行基作とされる本尊の十一面観世音菩薩、伝近衛天皇御下賜品の仏画『十六善神』や『涅槃仏像』、そして仏画『両界曼荼羅』などがあります。
境内
観音寺の境内には、本堂、観音堂(宝楼閣)、庫裏、鐘楼、仁王門などが立ち並んでいます。特に観音堂(宝楼閣)は、寛文12年(1672年)に豪運法印によって再建され、宝形造、懸造、銅板葺の特徴を持つ建物です。また、仁王門は室町時代中期に建てられた兵庫県指定文化財で、北兵庫最古の現存木造仁王門として貴重な文化財となっています。
仁王門
仁王門は、室町時代中期に建てられた寄棟造、桟瓦葺の一重門で、南に面しており、三間一戸づくりの構造が特徴です。内陣には左右に阿形と吽形の金剛力士像が安置されており、和様を基調としながらも唐様を取り入れた造りとなっています。蟇股や蓑束などの部分には、室町時代の建築様式の特徴が見られ、全体的には豪奢さを避けた朴訥な古様が特徴です。
行事
観音寺では、年間を通じてさまざまな仏教行事が行われています。1月1日の元旦法会、2月15日の涅槃会、8月16日の盂蘭盆会施餓鬼供養、10月18日の観音祭大般若会、そして12月第一日曜日に開催される天台大師会祖師講など、多彩な行事が執り行われています。
交通アクセス
鉄道
観音寺へは、JR山陰本線の江原駅から全但バス栗山行きのバスを利用し、観音寺下車後徒歩5分でアクセスできます。
道路
車でのアクセスも可能で、境内には無料の駐車場が若干数用意されています。