祭神
主祭神:田道間守命(たじまもりのみこと)
田道間守命は、『古事記』や『日本書紀』に登場する人物で、第11代垂仁天皇の命を受け、常世の国から「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」を持ち帰ったと伝えられています。この「非時香菓」は現在の橘(柑橘類の原種)とされ、当時は菓子の最上級品と見なされていました。そのため、田道間守命はお菓子や柑橘の祖神として広く崇敬されています。また、当地を開墾し、養蚕を奨励したと伝えられることから、養蚕の神としても信仰を集めています。
配祀神:天湯河棚神(あめのゆかわたなのかみ)
天湯河棚神は、鳥取連(ととりのむらじ)の祖神であり、『日本書紀』によれば垂仁天皇の命により皇子誉津別命のために鵠(白鳥)を捕えた人物とされています。中世に合祀された安美神社の祭神でもあり、地域の歴史と深く結びついています。
歴史と由緒
中嶋神社の創建は推古天皇15年(606年)に遡り、田道間守命の7世の子孫である三宅吉士が祖神として祀ったことに始まると伝えられています。神社名の「中嶋」は、田道間守命の墓が垂仁天皇陵の池の中に島のように浮かんでいることに由来すると言われています。
中世には、安美郷内の4社(有庫神社・阿牟加神社・安美神社・香住神社)を合祀し「五社大明神」と称されましたが、その後、安美神社(天湯河棚神)以外は分離されました。明治6年(1873年)に村社、同28年(1895年)に郷社、昭和10年(1935年)には県社に昇格し、現在に至ります。
社殿と建築
中嶋神社の本殿は「二間社流造檜皮葺」という珍しい様式で、応永年間(1394年 - 1428年)の火災後、正長元年(1428年)に再建されました。この建築様式は室町時代の典型的な神社建築を伝える貴重なもので、明治45年(1912年)に国宝に指定され、現在は国の重要文化財となっています。
菓子祭と前夜祭
毎年4月の第3日曜日に行われる「菓子祭」では、全国各地の製菓業者が商売繁盛を祈願するために参列します。この祭典は「橘花祭(きっかさい)」とも呼ばれ、お菓子業界にとって重要な行事となっています。
また、平成23年(2011年)からは祭りの前日に「前夜祭」が豊岡市内中心市街地で開催され、兵庫県内外の菓子店が集まり、多くの来場者で賑わいます。この前夜祭では、さまざまなお菓子を楽しむことができ、地域の活性化にも大きく貢献しています。
田道間守命と非時香菓の物語
不老長寿の果実「非時香菓」を求めて
田道間守命は、垂仁天皇の命を受け、不老長寿を叶えるとされる「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」を求めて遠い常世の国へ旅立ちました。その旅は10年にも及び、苦労の末に非時香菓を持ち帰りました。しかし、帰国した時にはすでに天皇は崩御しており、田道間守命は深い悲しみのあまり亡くなったと伝えられています。
「非時香菓」とは橘
田道間守命が持ち帰った非時香菓は、現在の「橘」とされています。橘はミカンの原種であり、古くから果子(くだもの)の最上級品として珍重されてきました。当時、果物は「果子(かし)」と呼ばれており、このことから田道間守命はお菓子の神様として崇敬されるようになりました。
お菓子の神様を祀る神社として
中嶋神社は、日本各地から和菓子や洋菓子の職人たちがお詣りに訪れる、お菓子の神様を祀る神社として有名です。地元・豊岡のお菓子屋さんだけでなく、全国の大手有名製菓メーカーや京都の老舗和菓子店も参拝に訪れています。学問の神様や商売繁盛の神様を祀る神社は数多く存在しますが、「お菓子」の神様を祀る神社は全国的にも珍しく、中嶋神社はその総本社として特別な存在感を放っています。
文化財
重要文化財(国指定)
本殿 附棟札1枚(建造物)
明治45年(1912年)2月8日に国の重要文化財に指定されました。本殿は室町中期の建築様式をよく示しており、歴史的・文化的価値が高く評価されています。
アクセス情報
電車・バスでのアクセス:
JR山陰本線「豊岡駅」より全但バス奥野行きに乗車し、「中嶋神社」バス停で下車するとすぐに到着します。また、神美経由出石行きに乗車し、「森尾口」バス停で下車、徒歩15分でもアクセス可能です。
まとめ
中嶋神社は、その深い歴史と独特の文化背景から、地域だけでなく全国的にも重要な神社として知られています。お菓子の神様である田道間守命を祀る神社として、多くの製菓業者や観光客が訪れ、伝統と文化を体感する場となっています。歴史的建造物としての価値も高く、訪れる人々に豊かな歴史と文化を伝え続けています。