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弓弦羽神社

(ゆづるは じんじゃ)

弓弦羽神社は、兵庫県神戸市東灘区御影郡家に位置する歴史ある神社です。この神社は、旧社格が村社であり、その由緒や歴史的背景から多くの参拝者に親しまれています。

神社の概要

弓弦羽神社は、熊野三山に祀られる伊弉冉尊(いざなみのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)の三柱の神々を主祭神としており、これらを総称して「根本熊野三所大神(こんぽんくまのさんしょおおかみ)」と呼びます。また、天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)と素佐男尊(すさのおのみこと)も配祀されています。

神社のシンボルとして、八咫烏(やたがらす)が知られています。八咫烏は、日本神話に登場する伝説のカラスであり、導きの神としての役割を持ち、神社の守護神とされています。

弓弦羽神社の歴史

弓弦羽神社の歴史は非常に古く、神功皇后の三韓征伐からの帰途に遡ります。当時、忍熊王の挙兵を知った神功皇后は、この地で弓矢や甲冑を納め、熊野大神に戦勝を祈願しました。これがきっかけで、当社の背後に位置する山が「弓弦羽岳(ゆづるはだけ)」、後には「六甲山(ろっこうさん)」と呼ばれるようになりました。

延暦年間(782年 - 805年)には、弓弦羽の森が神領地として定められ、嘉祥2年(849年)には社殿が造営され、現在地に遷座されました。平安時代中期以降、熊野信仰が盛んになるに伴い、弓弦羽神社も多くの崇敬を集めるようになりました。

灘地方と日本酒の関係

17世紀には、灘地方での酒造業が盛んになり、多くの酒造家が氏子となりました。弓弦羽神社は、日本酒の名産地として知られる灘五郷に位置しており、新年には菊正宗(きくまさむね)、白鶴(しらつる)、剣菱(けんびし)などの酒造メーカーが奉納した樽酒が参拝者にふるまわれます。また、各メーカーの醸造祈願祭も行われており、地域の信仰と結びついた伝統が続いています。

阪神・淡路大震災と神社の復興

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災により、東灘区は甚大な被害を受けました。弓弦羽神社でも、社務所や手水舎、絵馬堂が全壊し、鳥居の笠木が落下しました。また、多くの氏子が亡くなり、神社参道の入り口には慰霊碑が建てられました。

同年11月には、「神戸ルーツ」と題したパブリックアートが、現代美術家の八木マリヨ氏の提唱で制作されました。全国から集められた一万着の古着を束ねて作られた巨大な縄は、震災復興の象徴として神社に設置され、翌年1月17日に行われた震災復興祈願祭で「鎮魂の送り火」として燃やされました。

弓弦羽神社と芸術・スポーツ

弓弦羽神社のシンボルである八咫烏は、日本サッカー協会のシンボルでもあります。このため、神社の境内には御影石で作られたサッカーボールのオブジェが設置されています。さらに、神戸を本拠地とする女子サッカークラブ「INAC神戸レオネッサ」がシーズン前に必勝祈願を行う場所としても知られています。

また、弓弦羽神社の「弓」の字にちなみ、弓道家やヴァイオリン愛好者も参拝することで知られています。

羽生結弦選手のファンの聖地

フィギュアスケート選手の羽生結弦選手が、ファンから寄贈されたお守りを通じて、当社の存在を知り、2011年7月に参拝しました。特に、ソチオリンピックでの羽生選手の活躍を祈願して、多くの絵馬が奉納され、金メダルを獲得した後には参拝者が急増しました。現在では、羽生選手を応援するファンにとっての聖地となっており、奉納される絵馬の約7割が羽生選手の必勝祈願を目的としたものです。

境内の様子

弓弦羽神社の境内には、社殿をはじめとする歴史的な建造物が点在しており、その厳かな雰囲気が漂います。また、参道や拝殿周辺には多くの参拝者が訪れ、地域の信仰の中心地となっています。

交通アクセス

弓弦羽神社へのアクセスは非常に便利です。阪急神戸線の御影駅から徒歩で約5分、JR神戸線(東海道本線)の住吉駅からは徒歩で約10分、阪神本線の御影駅からは徒歩で約15分で到着します。

Information

名称
弓弦羽神社
(ゆづるは じんじゃ)

神戸・有馬(有馬温泉)

兵庫県