須磨寺の歴史
須磨寺の歴史は非常に古く、平安時代にまでさかのぼります。「須磨寺略歴縁起」によれば、平安時代の初め、漁師が和田岬の沖で聖観音像を引き上げたと伝えられています。この聖観音像を安置するため、淳和天皇の勅命により恵偈山北峰寺が建立されました。さらに、仁和2年(886年)には光孝天皇の勅命により、聞鏡上人が上野山福祥寺を建立し、北峰寺から聖観世音菩薩像を移し、本尊としたのが須磨寺の始まりとされています。
しかし、「当山歴代」(県指定文化財)によれば、本尊である聖観世音菩薩像は、嘉応元年(1169年)に源頼政が安置したとされています。また、慶長7年(1602年)には、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として本堂を再建しています。
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では、須磨寺も被害を受け、塔頭桜寿院本堂や塔頭蓮生院本堂が倒壊するなどしましたが、後に復興されました。
須磨寺の境内
須磨寺の境内には、平敦盛遺愛の「青葉の笛」や弁慶の鐘、敦盛首塚、義経腰掛の松など、多くの重宝や史跡があります。また、境内には正岡子規や松尾芭蕉の句碑があり、尾崎放哉の墓もあります。
本堂
本堂は、慶長7年(1602年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建されたものです。ただし、内陣の宮殿は応安元年(1368年)の造りとされています。
その他の建造物と史跡
- 護摩堂 - 1903年(明治36年)に再建。
- 十三重石塔 - 兵庫県指定有形文化財で、南北朝時代に造られたもの。1961年(昭和36年)に現在の位置に移設されました。
- 敦盛公首洗池 - 一ノ谷の戦いで熊谷直実に討ち取られた平敦盛の首を洗ったとされる場所。
- 八角堂 - 2017年(平成29年)に落慶し、経木供養所が建て替えられたものです。
- 三重塔 - 1984年(昭和59年)に再建されました。
- 義経腰掛の松
- 源平の庭
文化財
須磨寺には、多くの重要な文化財が保存されています。
重要文化財
- 本堂内宮殿及び仏壇 - 南北朝時代の応安元年(1368年)の建造物。
- 木造十一面観音立像 - 南北朝時代の作。
- 絹本著色普賢十羅刹女像 - 南北朝時代の作。
兵庫県指定有形文化財
- 十三重石塔
- 木造不動明王立像 - 南北朝時代の応安2年(1369年)、東寺大仏師の康俊による作。
- 鰐口 - 南北朝時代の貞治5年(1366年)の作。
- 当山歴代古記録2巻 - 南北朝時代から江戸時代中期の記録。
- 古筆貼交屏風 - 正覚院所有の6曲1双の屏風。
神戸市指定有形文化財
- 木造聖観音坐像
- 紙本著色平敦盛画像
- 絹本著色天台四祖像
周辺情報
須磨寺の周辺には、平重衡捕らわれの遺跡や須磨霊泉、現光寺、松風村雨堂などの歴史的な場所が点在しています。須磨離宮公園も近くにあります。
アクセス
須磨寺へのアクセスは、山陽電車の須磨寺駅から徒歩5分、またはJR神戸線(山陽本線)の須磨駅から徒歩12分です。須磨寺はその歴史的背景から、B級スポットとしても紹介されることがあり、特に夏の高校野球選手権大会の際には、周辺の民宿が各地の代表チームの宿泊所として利用されることでも知られています。