概要
所在地と法的区分
神戸港は、兵庫県神戸市に位置しており、港則法や関税法の観点から、尼崎西宮芦屋港、大阪港、堺泉北港と共に「阪神港」の一部と見なされ、正式には「阪神港神戸区」として指定されています。また、港則法上の特定港にも指定されており、その重要性が認識されています。
地形と自然の恵み
神戸港は六甲連山が大阪湾へと急激に落ち込む地形に位置しており、水深が急激に深くなる「天然の良港」として知られています。この特徴により、神戸港は日本を代表する国際貿易港として、また地理的に重要な役割を果たしてきました。神戸市の海に面する行政区は7区ありますが、神戸港の港湾区域と臨港地区は摂津国側の6区に展開されており、播磨国側の垂水区は含まれていません。
歴史的背景
神戸港の歴史は、古代からの重要な貿易拠点である兵庫港に始まりました。奈良や京都に近接する位置にあり、古くから日本国内の東西航路や大陸との交易の拠点として栄えてきました。兵庫港は「大輪田泊(おおわだのとまり)」や「兵庫津(ひょうごのつ)」と呼ばれ、1892年10月1日に神戸港の一部となりました。神戸港が開港した際、兵庫港は依然として不開港の状態でしたが、その後神戸港に統合されました。
戦後の発展と再開発
埋立とコンテナ取扱の進化
戦後、神戸港は「山、海へ行く」と称されるベルトコンベアによる大規模な埋立地造成が行われ、摩耶埠頭やポートアイランド、六甲アイランド、神戸空港が次々と誕生しました。特に1967年には摩耶埠頭がコンテナリゼーションに対応し、1970年代には世界最大のコンテナ取扱港となりました。これにより、神戸港は国際貿易の中心地としての地位を確固たるものにしました。
ウォーターフロント開発の先駆け
同時期に老朽化した歴史的な地区では、メリケンパーク、神戸ハーバーランド、かもめりあといった再開発が行われ、日本のウォーターフロント開発の先駆けとなりました。現在でも、新港第1 - 第2突堤やその基部で再開発が進められ、さらなる発展が期待されています。
施設状況
港湾区域と臨港地区の面積
神戸港の港湾区域の面積は9,171ヘクタールに及び、西端は堺川河口、東端は傍示川河口まで広がっています。また、臨港地区の面積は2,109ヘクタールで、須磨区、長田区、兵庫区、中央区、灘区、東灘区に展開しています。
主要な埠頭と岸壁
神戸港には数多くの埠頭と岸壁が存在します。代表的なものとしては、兵庫埠頭、高浜岸壁、中突堤、新港、摩耶埠頭、ポートアイランド、六甲アイランドなどがあります。これらの施設は国際貿易や国内物流において重要な役割を果たしており、特に六甲アイランドのコンテナバースは重要な拠点となっています。
港勢
2017年の神戸港における港勢は、総入港隻数34,934隻、外航船入港隻数6,733隻、内航船入港隻数28,201隻となっており、神戸港の重要性がうかがえます。また、取扱貨物量においては、輸出が2,407万トン、輸入が2,865万トンに達しており、特に中国やアメリカとの貿易が活発です。
歴史
古代の始まり
神戸港の歴史は古代にさかのぼり、奈良時代には「大輪田泊」として整備されました。これが神戸港の始まりであり、古くからの貿易拠点としての重要性が記録に残っています。
中世の発展
平安時代末期、平清盛によって「大輪田泊」の修築が行われ、人工島「経が島」が建設されることで、日宋貿易の拠点となりました。その後、鎌倉時代には「兵庫津」として国内で最も重要な港となり、室町時代には日明貿易の拠点として再び国際貿易港としての地位を確立しました。
近世の役割
江戸時代には、兵庫津は鎖国政策下で西廻り航路の北前船や内海船の要港、また朝鮮通信使の寄港地として栄えました。また、この時期に灘五郷として酒造りが活発になり、港周辺の経済が繁栄しました。
幕末から明治への移行
1863年、江戸幕府の軍艦奉行であった勝海舟が設立した「海軍操練所」が神戸に置かれ、翌年には坂本龍馬が塾長を務めた「海軍塾」も開設されましたが、勝の更迭によりこれらは閉鎖されました。その後、1858年の日米修好通商条約に基づき、1868年1月1日に神戸港が開港し、日本の国際貿易港としての役割を果たし始めました。