萌黄の館または旧シャープ住宅として知られるこの建物は、兵庫県神戸市中央区北野町に位置する歴史的な異人館です。1980年12月18日に国の重要文化財に指定され、その独特な建築様式と歴史的背景から、多くの観光客に親しまれています。
旧シャープ住宅は、著名な「風見鶏の館」の西隣に位置しており、その建築様式は風見鶏の館の重厚なネオ・バロック様式に対して、軽快な典型的コロニアル様式の2階建て建築となっています。建物の装飾にはバロック様式が基本となっており、2つの異なるデザインのベイ・ウインドーやモザイク装飾の階段など、贅沢な意匠が随所に見られます。また、日本の様式も一部に取り入れられている点が特徴です。
この西洋館は、1903年にアメリカ合衆国総領事であったハンター・シャープ(Hunter Sharp)の邸宅として建設されました。設計者はA.N.ハンセルとされており、当初は白い外壁を持つ「白い異人館」として知られていました。その後、ドイツ人の所有を経て、1944年には神戸電鉄社長の小林秀雄が取得し、1978年まで居住していました。
1980年、この建物は「小林家住宅(旧シャープ住宅)」という名称で国の重要文化財に指定されました。重要文化財の指定を受けたのは建物だけでなく、宅地803.6平方メートルも含まれています。1987年からの半解体修理の際に、創建当時の外壁の色が明らかとなり、1989年に外壁は萌黄色に変更されました。以後、この建物は「萌黄の館」という愛称で親しまれています。
1995年の阪神・淡路大震災では、この建物も大きな被害を受けました。3本の煙突がすべて崩落し、外壁にも亀裂が生じましたが、1年をかけて復旧が行われました。現在、庭園の一角には、崩落した煙突がそのままの姿で展示されており、震災の記憶を伝える象徴となっています。
旧シャープ住宅の建築様式は、典型的なコロニアル様式とバロック様式を融合させたもので、随所に見られる贅沢な装飾が特徴です。特に、2つの異なるデザインのベイ・ウインドーやモザイク装飾の階段は、この建物の豪華さを象徴しています。また、日本の様式も取り入れられており、異文化が交差する時代の象徴的な建物と言えます。
1989年に行われた修復の際、創建時の外壁の色である萌黄色に戻されたことから、「萌黄の館」という愛称が広まりました。それ以前は「白い異人館」として知られていましたが、この色の変更によって、建物のイメージが大きく変わりました。
旧シャープ住宅の初代所有者であるハンター・シャープは、1861年にアメリカ合衆国ノースカロライナ州ハートフォードに生まれました。ノースカロライナ大学を卒業後、1886年に来日し、1900年には神戸で結婚しました。1903年には萌黄の館を建設し、その後1908年に日本を離れました。以降、モスクワ総領事、リヨン領事、エディンバラ領事を歴任し、1923年にエディンバラで逝去しました。
旧シャープ住宅(萌黄の館)は、以下の通り利用することができます。
毎月第2水曜日