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生田神社

(いくた じんじゃ)

生田神社は、兵庫県神戸市中央区下山手通に位置する由緒ある神社です。古代からの神社であり、式内社(名神大社)に列し、旧社格では官幣中社に指定されていました。神社は、地域の歴史と深く結びついており、「生田さん」として地元の人々に親しまれています。

神社の概要

歴史的な背景

生田神社は、廣田神社や長田神社とともに、神功皇后の時代からの歴史を有する神社です。これらの神社とともに神戸を代表する存在として知られており、その影響力は古くから現在に至るまで続いています。かつて、現在の神戸市中央区一帯が社領であり、この地域が「神戸」と呼ばれるようになったのは生田神社がその名の由来となったためです。

祭神

生田神社の祭神は、稚日女尊(わかひるめのみこと)です。この神は「稚く瑞々しい日の女神」を意味し、天照大神の幼名とも妹とも言われています。また、稚日女尊は和魂(にぎたま)であるとされ、平和と豊穣を象徴する存在として崇められています。

生田神社の歴史

創建と初期の歴史

生田神社の創建は、201年、神功皇后が三韓外征の帰途に神戸港で船が進まなくなった際、神占を行い、その結果として稚日女尊が現れ、「吾は活田長峡国に居らむ」との神託を受けたことに始まります。初めて祀られた場所は、現在の新神戸駅の奥にある布引山(砂山)でありました。しかし、799年の大洪水により神社は現在の場所である生田の森に移されました。

平安時代から中世の変遷

806年、平城天皇の時代には「生田の神封四十四戸」と古書に記されており、当時の生田神社が広大な社領を有していたことがわかります。これが「神戸(かんべ)」の名の由来となり、紺戸(こんべ)を経て、現在の神戸(こうべ)へと変遷していきました。

近代の発展と復興

1871年、近代社格制度のもとで生田神社は県社に列せられ、その後1885年には明治天皇の西国巡幸を契機に官幣小社、1896年には官幣中社に昇格しました。また、1938年の神戸大水害、1945年の神戸大空襲、1995年の阪神・淡路大震災といった幾多の災害に見舞われましたが、その度に社殿は復興され、「蘇る神」としての崇敬を集めています。

神階と伝承

神階

生田神社の神階は、天安3年(859年)に従五位下勲八等から従四位下勲八等に、貞観10年(868年)には従四位下勲八等から従三位勲八等に昇進しました(『日本三代実録』)。

伝説・伝承

799年の大洪水の際、生田神社の周囲に植えられていた松の木が洪水を防ぐ役割を果たせなかったことから、現在でも生田の森には松の木が1本も植えられていません。また、中央区熊内町の熊内八幡神社付近にある「旭の鳥居」は、砂山にあった頃の生田神社の一の鳥居であると伝えられています。「旭の鳥居」は元旦に朝日を受けても影を落とさないとされ、その名が付けられました。

境内の様子

社殿と周辺施設

境内には鳥居の向こうに楼閣と本殿があり、その周囲には脇社として蛭子神社、稲荷社、弁天池などが配置されています。また、「謡曲生田敦盛」の碑や、地元飲食店や食品関連企業の寄付によって建てられた包丁塚、震災復興祈念碑、楠の神木などがあります。境内北側には「生田の森」と呼ばれる鎮守の森が広がり、神聖な雰囲気を醸し出しています。

摂末社

生田神社の境内には、以下の摂末社があります。各摂末社の祭神と説明は公式サイトによります。

生田神社の祭事

1月 - 3月

4月 - 6月

7月 - 9月

10月 - 12月

生田神社の伝説と文化

謡曲「生田敦盛」

神戸市に伝わる生田神社の伝説の一つに、謡曲「生田敦盛」があります。この物語は平安時代末期の武士・平敦盛が登場し、その悲劇的な最期が描かれています。神社の境内には、この謡曲を記念する碑が建てられており、毎年多くの人々が訪れています。

交通アクセス

生田神社へは、神戸市営地下鉄西神・山手線「三宮駅」から徒歩約10分、または阪急電鉄「神戸三宮駅」から徒歩約15分でアクセスできます。神戸の中心部に位置しており、周辺には観光名所や飲食店も多くあります。

Information

名称
生田神社
(いくた じんじゃ)

神戸・有馬(有馬温泉)

兵庫県