概要
神戸市立須磨海浜水族園の歴史は、1957年5月10日に開園した神戸市立須磨水族館に始まります。当初は神戸市交通局の管理下にありましたが、1987年に旧施設が解体され、新たに開業したのが、後に「神戸市立須磨海浜水族園」として知られることになる施設です。この新しい施設は、日本における大型水族館の先駆けとなり、多くの人々に親しまれてきました。
みなとオアシス須磨の一部として
須磨海岸一帯は「みなとオアシス」に登録されており、須磨海浜水族園もその構成施設の一つでした。1987年には年間240万人の入場者を記録し、当時の日本記録を樹立しました。なお、この記録は後に葛西臨海水族園(1990年)や海遊館(1991年)に更新されました。
映画『スマスイ』の制作
2019年には、建て替えが決定した旧施設の記憶を次世代に伝えるため、映画『スマスイ』が制作されました。この映画は多くの人々に愛された水族園の記憶を記録し、後世に伝える役割を果たしました。
飼育と展示
須磨海浜水族園は、1977年に世界で初めてロングノーズガーの繁殖に成功し、また関西で初めてラッコを展示するなど、先駆的な取り組みを行っていました。
主要な施設と展示内容
- 波の大水槽「Wave Tank」:間口25m、水量1,200トンの造波設備(世界初)。
- アマゾン館:日本初のチューブ型水中トンネルを備え、ピラルクなどを展示。
- さかなライブ劇場:ピラニアの大群が泳ぐトンネル水槽。
- 森の水槽北館:半地下式水槽にハイギョやオオサンショウウオを展示。
- 森の水槽南館:半地下式水槽にアジアアロワナを展示(須磨水族館時代からの施設)。
- ラッコ館:エサやり実演。
- イルカライブ館:イルカショーを毎日開催。1989年3月27日オープン。
- その他の施設:ウミガメプール、ペンギンプール、標本展示室、和楽園展示館、レストラン和楽園、スーベニアショップなど。
ユニークなサービス
2008年からは、サメやウミガメが泳ぐ「波の大水槽」の前にこたつを設置し、暖をとりながら観賞できるユニークなサービスも行っていました。また、長崎大学水産学部の教授の協力により、マングローブキリフィッシュの展示も行われ、各地から大学生のインターンシップも受け入れていました。
建築概要
- 竣工:1987年
- 設計:神戸市、大建設計
- 延床面積:12,505m2
- 構造:SRC造、RC造
- 規模:地上3階、地下1階
- 展示水量:3,100トン(野外水槽を含む)
- 所在地:兵庫県神戸市須磨区若宮町1-3-5
アクセス
鉄道
- JR神戸線 須磨海浜公園駅 徒歩5分
- 山陽電鉄本線 月見山駅 徒歩10分
バス
- 神戸市営バス 須磨水族園停留所下車
- JR須磨駅または山陽須磨駅から81系統で約3分
神戸の水族館の歴史
和楽園水族館
神戸の水族館の歴史は1895年(明治28年)にまで遡ります。京都で開催された第4回内国勧業博覧会に協力した神戸市が、和田岬の遊園地「和楽園」に「和田岬水族放養場」を開設しました。これが、日本初の本格的な水族館の始まりとされています。
1897年(明治30年)、神戸市は和田岬水族放養場をさらに充実させ、大日本水産博覧会の会期中に限って「和楽園水族館」として開設しました。この水族館は、日本初の本格的な濾過装置を備えた施設であり、外観はインド風の斬新なデザインであったとされています。
湊川水族館
1930年(昭和5年)、神戸海港博覧会に合わせて湊川公園内に「湊川水族館」が建設されました。しかし、第二次世界大戦の激化により1943年に閉鎖され、1945年の神戸大空襲で焼失しました。
その後、1957年に「須磨水族館」として再び神戸に水族館が誕生し、須磨海浜水族園として発展していきました。
阪神・淡路大震災とその後
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、水族館の建物には大きな被害はなかったものの、停電により濾過装置や温水が停止し、多くの生き物が犠牲となりました。この経験は、その後の施設運営に大きな影響を与えました。
民営化と再整備
神戸市は、須磨海浜水族園を民営化することを決定し、再整備事業の優先交渉権者として、サンケイビルやグランビスタホテル&リゾートなどの企業グループが選定されました。この結果、2024年に「神戸須磨シーワールド」として再オープンすることになりました。