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龍野城

(たつのじょう)

龍野城は、兵庫県たつの市龍野町上霞城(播磨国揖保郡、後に揖西郡)に位置する歴史的な城で、日本の城郭の一つです。この城は霞がかかったように見えることから、「霞城(かじょう)」とも呼ばれています。

城の歴史

創建と初期の歴史

龍野城の歴史は、明応8年(1499年)にさかのぼります。この年、塩屋城の龍野赤松氏である赤松村秀が、龍野の地に鶏籠山城を築きました。この城は赤松村秀の後、政秀、広貞、広秀と続きましたが、天正5年(1577年)に開城し、赤松氏から豊臣秀吉の手に渡りました。秀吉は播磨平定後、姫路城を本拠地として整備し、新たに蜂須賀正勝を龍野城に配置しました。

江戸時代の再建

江戸時代初期の万治元年(1658年)、当時の城主であった京極高和が丸亀に移転する際、龍野城は一旦破却されました。しかし、寛文12年(1672年)に脇坂安政によって再建されました。この再建時には、山頂の郭(くるわ)が放棄され、山麓に居館部のみを持つ陣屋形式の城郭が築かれました。

近代の利用と再建

明治時代から大正時代にかけて、龍野城の跡地には旧制中学校や兵庫県立龍野高等女学校が置かれました。昭和50年代には櫓や御殿が再建され、現在の本丸御殿は1979年(昭和54年)に再建されたものです。また、2011年(平成23年)11月には、龍野商工会議所青年部の創設30周年を記念して、3日間限定で発泡スチロール製の天守が設置されました。

龍野城の遺構

龍野城の遺構としては、石垣のみが現存していますが、御殿、武具櫓、隅櫓、埋門が再建されています。また、城の東門はたつの市内の揖保川町にある浄栄寺の山門として、大手門は同じく揖保川町にある因念寺の山門として移築され、現存しています。因念寺の山門は、市の有形文化財に指定されています。また、揖保川町の光遍寺山門および揖保郡太子町常全の蓮光寺山門も、どこの門かは定かではありませんが、龍野城の城門を移築したものと伝えられています。

歴代城主

龍野城の歴代城主は、以下の通りです。

交通アクセス

龍野城へのアクセスは、以下の通りです。

周辺の観光スポット

龍野城周辺には、以下のような観光スポットがあります。

イベント情報

龍野城では、毎年「龍野さくら祭と武者行列」などのさまざまなイベントが開催されています。これらのイベントは、地域の歴史と文化を感じることができる貴重な機会となっています。

まとめ

龍野城は、兵庫県たつの市の歴史と文化を象徴する重要な遺産です。再建された建物や移築された門など、現在でもその歴史を感じることができる場所として、多くの観光客に親しまれています。周辺の観光スポットやイベントも合わせて訪れることで、より深く龍野の魅力を感じることができるでしょう。

Information

名称
龍野城
(たつのじょう)

姫路・赤穂

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