野見宿禰神社の概要
野見宿禰神社は、播磨国風土記に伝わる出雲墓屋伝承地に建てられています。境内には、古代の英雄である野見宿禰の塚があり、これが神社の中心的な信仰対象となっています。この神社は、龍野公園内に位置しており、その敷地内には、明治から大正時代にかけて活躍した力士や行司たちが寄進した玉垣が残されています。これらの玉垣は、当時の力士たちの信仰心を物語る貴重な遺産です。
播磨国風土記における野見宿禰の伝承
播磨国風土記によれば、野見宿禰は大和国(現在の奈良県)から故郷である出雲国へ帰る途中、日下部野(くさかべの)で病没しました。その死を悼み、多くの人々が出雲から訪れ、野見宿禰の墓を建てるために手送りで石を運びました。この出来事が後に「野に立つ人」を意味する「立野(たちの)」となり、さらに「龍野(たつの)」と変化して、現在の地名「たつの」の由来となったとされています。
このように、野見宿禰神社はたつの市の地名の由来とも深く関わりを持ち、その歴史的背景からも非常に重要な位置を占める神社です。
野見宿禰とは
野見宿禰は、古墳時代の豪族であり、土師氏(はじし)の祖とされる人物です。『日本書紀』などの古典にも登場し、相撲の起源とされる伝説的な存在として知られています。
野見宿禰と相撲の伝説
『日本書紀』によると、野見宿禰は垂仁天皇の命により、大和国の豪傑・当麻蹴速(たいまのけはや)と角力(すもう)を取ることになりました。激しい戦いの末、野見宿禰は蹴速の腰を踏み折って勝利し、以後、天皇に仕えることとなりました。この出来事が、日本相撲の起源とされています。
殉死の風習を改めた功績
また、野見宿禰は、当時の葬儀における「殉死」の風習を改める役割を果たしました。垂仁天皇の皇后・日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の葬儀の際、それまで生きた人間を副葬していた風習に代わり、土で作った人形を埋めることを提案しました。この習慣が、後の埴輪(はにわ)の起源とされています。
神社の特徴と文化的価値
境内に残る力士たちの玉垣
野見宿禰神社の境内には、明治から大正時代にかけて活躍した84名の力士や行司たちが寄進した玉垣が今も残っています。これは、当時の相撲界における野見宿禰信仰の深さを示しており、歴史的に非常に貴重な文化財です。
石扉に刻まれた出雲大社の紋章
神社の石扉には、出雲大社の千家氏(せんけし)の紋章が刻まれています。これは、野見宿禰と出雲大社の歴史的なつながりを象徴するものと考えられ、神社の由緒の深さを物語っています。
野見宿禰神社からの眺望と観光の魅力
たつの市を一望できる絶景
野見宿禰神社は、龍野公園内に位置しており、境内からたつの市の美しい風景を望むことができます。春には桜が咲き誇り、秋には紅葉が楽しめるため、四季折々の景色を堪能できるスポットとしても人気があります。
周辺観光スポット
- 龍野城跡 - 江戸時代の城跡で、歴史散策に最適
- 赤とんぼ文化ホール - 童謡「赤とんぼ」にちなんだ文化施設
- 揖保乃糸資料館 - たつの市の特産品「揖保乃糸(いぼのいと)」の歴史が学べる
アクセス情報
所在地
兵庫県たつの市北龍野
交通手段
- JR姫新線「本竜野駅」から徒歩35分
- 車の場合、たつの市中心部から約10分
まとめ
野見宿禰神社は、日本相撲の起源に関わる伝説を持つ神社であり、歴史的・文化的にも非常に貴重な場所です。また、たつの市の地名の由来とも深く関わっており、地域のシンボルとして人々に親しまれています。境内に残る玉垣や、出雲大社とのつながりを示す紋章など、見どころも多く、訪れる価値のあるスポットです。
たつの市を訪れる際には、ぜひ野見宿禰神社を巡り、歴史に思いを馳せながら美しい景観を楽しんでみてはいかがでしょうか。