祭神
大避神社の主祭神は以下の通りです:
- 大避大神: 秦河勝(はたのかわかつ)を指します。
- 天照皇大神: 日本神話における最高神で、太陽の神とされています。
- 春日大神: 春日神社の主神で、四柱の神を祀ります。
歴史
大避神社の歴史は、飛鳥時代に遡ります。秦河勝は、大化の改新期に活躍した氏族である秦氏の一員であり、聖徳太子の同志として知られています。彼は、日本最古の寺院とされる広隆寺を建立し、聖徳太子から賜った弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)を安置しました。
広隆寺の近くには、大酒神社が存在し、これは広隆寺の境内から分散し遷座したものとされます。大避神社もその関連から「大酒(おおさけ)」と呼ばれることがあります。秦河勝は、聖徳太子の死後、皇極天皇の3年(644年)に坂越へ移り住み、千種川流域の開拓を進めました。彼が死去したのは大化3年(647年)で、地元の人々がその霊を祀ったのが大避神社の創建とされています。
神社の前方に位置する生島(国の天然記念物)には、秦河勝の墓があり、神聖な領域として人々の立ち入りが禁止されています。
文化財と宝物
大避神社には、秦河勝が自ら彫刻したとされる蘭陵王の面が伝えられています。これは雅楽に使用されたもので、1300年以上の歴史を持つ貴重な宝物です。秦河勝は猿楽の始祖ともされており、観阿弥や世阿弥、そして東儀家などがその末裔とされています。また、金春流も秦河勝を初代と伝えています。
『播磨国総社縁起』には、養和元年(1182年)にこの神社がすでに有力な存在であったことが記されています。
別説と関連伝承
『風姿花伝』と同時期の1426年に編纂された『本朝皇胤紹運録』には、安閑天皇の皇子であり「秦氏祖」とされる「豊彦王」が大辟大明神であるという記述があります。
また、日ユ同祖論に関連する説では、「延喜式以前には『避』ではなく『闢』の文字が使われ、大闢は中国語でダビデを意味するため、秦氏はユダヤ人である」と主張されています。この説は、司馬遼太郎の作品『兜率天の巡礼』でも登場人物によって言及されています。
境内
大避神社の境内には、多くの歴史的な建造物や施設があります。以下はその主なものです。
本殿
1769年(明和6年)に再建された本殿は、神社の中心的な建物です。
拝殿
1746年(延享3年)に再建された拝殿は、参拝者が神に祈りを捧げる場所です。
神門
同じく1746年に再建された神門は、神仏習合の影響を受けており、随神と仁王像が背中合わせに配置されています。
絵馬堂
江戸時代以降の絵馬が40余り掲げられている絵馬堂には、享保7年(1722年)の船絵馬があり、日本最古の船絵馬として貴重なものです。
ヤスライの井戸
この井戸は神社の境内にあり、古くからの信仰の対象とされています。
摂末社
大避神社の境内には、いくつかの摂末社もあります。以下にその主なものを紹介します。
新宮
新宮には、聖徳太子、住吉大神、金比羅大神、海神社が祀られています。
天満神社
菅原道真を祀る天満神社は、元は天神山(北之町)に鎮座していました。
恵美須神社
蛭子神を祀る恵美須神社は、元は本町海岸に鎮座していました。
荒神社
竈神を祀る荒神社は、元は東之町に鎮座していました。
淡島神社
淡島大神を祀る淡島神社は、和歌山県の加太から勧請されました。
稲荷神社
稲荷神社は、商売繁盛や五穀豊穣を祈願する神社です。
関連寺院
妙見寺観音堂は、大避神社の関連寺院であり、如意輪観音、六観音、弘法大師を祀っています。元は神仏習合時代における大避神社の神宮寺でしたが、明治初年の神仏分離により分離されました。観音堂は、大避神社の裏参道を登った山腹に位置し、かつては坂越村の小学校としても利用されていました。
祭事: 坂越の船祭り
毎年10月の第2日曜日に行われる「坂越の船祭り」は、江戸時代初期に秦河勝が坂越に渡来した伝承を再現する祭りとして始まりました。「山のみか 海も紅葉の 秋まつり」と詠まれるように、荘厳で華麗かつ勇壮な神事であり、日本でも他に類を見ない伝統的和船の祭礼として広く知られています。
進行
祭礼の第1日目は、宵宮が行われ、河勝の墓とされる生島の古墳の前で墓前祭が行われます。その後、歌船が御船歌を奏しながら浦々を巡り(磯洗い)、獅子組の青年と子供たちによる獅子舞が町内を巡ります。
2日目の本宮(神幸式)では、午前中から獅子舞が続き、海上渡御が始まります。6艘の御座船が氏子六町から繰り出され、氏子や一般参列者が乗り込んで、旗船、神船、歌船、白木の船の順で沖合の生島に向かいます。歌船の歌い手が「ヤレコーリャ」「サカシジャサ」の掛け声で御船歌を歌い、その旋律に合わせて祭列が進行します。
生島では、神職が神事を行い、御神霊をお迎えして神船に移し、坂越の海を巡航します。特に、龍舞台での御旅所で行われる神事や、夜の浜辺での提灯を灯した船団が幻想的な光景を織り成す様子は、多くの見物客を引きつけます。
指定文化財
「坂越の船祭り」は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、その歴史的意義や文化的価値が高く評価されています。この祭りは、地域の人々の強い絆と信仰を示すものとして、今なお継承され続けています。
アクセス
大避神社へのアクセスは、電車の場合、JR赤穂線の「坂越駅」で下車し、徒歩約15分で到着します。車の場合、山陽自動車道「赤穂インターチェンジ」から約10分の距離にあります。また、境内には駐車場が整備されていますが、祭りの日などは混雑が予想されるため、公共交通機関の利用を推奨します。
まとめ
大避神社は、兵庫県赤穂市坂越の歴史と文化を象徴する神社であり、坂越の船祭りを通じて地域の伝統が今も息づいています。訪れる際には、その壮大な歴史と美しい景観を楽しみつつ、神聖な場としての厳粛な雰囲気を感じ取ってください。