歴史
寺伝によれば、天平17年(745年)、酒見明神の神託を受けた行基が、聖武天皇に奏上し、寺号を泉生山 酒見寺として開創したと伝えられています。この寺は勅願寺であり、隣接する酒見明神社(現・住吉神社)の別当寺としての役割を果たしてきました。
平安時代には毎年勅使の参詣が行われていたものの、平治元年(1159年)の平治の乱や天正年間(1573年 - 1592年)には全山が焼失しました。しかし、二条天皇の御朱印により再建され、江戸時代には姫路城主の池田輝政や本多忠政の援助を受け、実相院隆恵によって再興されました。さらに、江戸幕府第3代将軍徳川家光から朱印寺と定められ、代々将軍からの朱印状と所領60石が下附され、寺院の隆盛が保たれました。
酒見寺の伽藍と境内
境内の概要
酒見寺は北条町の街中に位置し、住吉神社と隣接しています。南端には楼門があり、そこから北に延びる参道の左右には地蔵堂、多宝塔、観音堂、常行堂が建ち並んでいます。参道の突き当たりには本堂があり、その東側には鐘楼、西側には辨才天堂、裏手には御影堂があり、土塀に囲まれた庫裏や護摩堂・持仏堂が佇んでいます。
本堂とその他の建物
本堂は元禄2年(1689年)に再建され、加西市指定有形文化財に指定されています。入母屋造、裳階付き、二層屋根、本瓦葺のこの建物には、本尊の十一面観音、脇仏の持国天、多聞天が安置されています。また、御影堂には弘法大師像が祀られており、17世紀後期に建てられた加西市指定有形文化財です。
多宝塔
多宝塔は寛文2年(1662年)に再建されたもので、重要文化財に指定されています。屋根の上重が桧皮葺、下重が瓦葺という珍しい構造を持ち、彩色された折衷様式のこの塔は、全国でも最も美しい多宝塔と評価されています。塔内には大日如来が安置されており、その壮麗さが多くの参拝者を魅了しています。
その他の文化財と建築物
境内には、地蔵堂(宝暦4年・1754年建立)や常行堂(19世紀前期建立)、楼門(文政8年・1825年再建)、そして鐘楼(寛文4年・1664年再建)などの文化財が数多く存在します。これらの建物はそれぞれが加西市指定有形文化財や兵庫県指定有形文化財に指定されており、歴史的価値が高いものばかりです。
主な仏像
酒見寺の本尊は十一面観音菩薩であり、脇仏として多聞天と持国天が安置されています。この十一面観音菩薩像は、61年に一度開扉される秘仏として知られ、カヤの一木造りで制作されています。また、持国天・多聞天立像は平安時代後期に作られた寄木造の仏像で、その美しさと歴史的価値が高く評価されています。
文化財の指定
重要文化財
酒見寺の多宝塔は、国の重要文化財に指定されています。これは江戸時代の建築技術と美術工芸の粋を集めたものであり、その価値は国内外で高く評価されています。
兵庫県指定有形文化財
鐘楼と梵鐘は兵庫県指定有形文化財に指定されています。鐘楼は寛文4年(1664年)に再建され、その折衷様式と彩色された外観が特徴です。また、梵鐘はその響きが美しく、歴史的にも貴重な文化財として保存されています。
加西市指定有形文化財
酒見寺の境内には、加西市指定有形文化財に指定された楼門や酒見寺建造物群の6棟(本堂、御影堂、地蔵堂、護摩堂・持仏堂、常行堂、観音堂)があります。これらの建物は、江戸時代から明治時代にかけての建築技術の高さを示すものであり、現在もその姿をとどめています。
行事とイベント
年間行事
酒見寺では、毎年多くの行事が行われています。特に元旦の修正会、五月八日の花祭、六月十五日の青葉祭、七月一日の大般若会、八月九日の四万六千縁日、八月十八日の盂蘭盆会、八月二十三日の地蔵盆、十一月の第二戌の日に行われる辨天祭などが有名です。
北条節句祭り
酒見寺が所在する北条町では、「北条節句まつり」が行われています。この祭りは約900年の歴史と伝統を持ち、播磨三大まつりの一つに数えられます。桜の季節に始まるこの祭りは、優美さと勇壮さが織りなす華やかな春の祭りとして多くの人々に親しまれています。東西の神輿や15台の豪華な屋台が街中を巡行し、古式ゆかしい鶏合せ神事や龍王の舞などが奉納されます。祭りの期間中は、大観衆で賑わいを見せます。