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奥山寺

(おくさんじ)

奥山寺は、兵庫県加西市に位置する高野山真言宗の寺院です。山号は青嶺山、本尊は千手観世音菩薩であり、市内でも紅葉が特に美しいことで有名です。奥山寺はその自然美とともに、長い歴史と文化的な価値を持つ寺院として多くの参拝者や観光客に親しまれています。

紅葉の名所としての奥山寺

国正町の絶景

奥山寺は市内でも最も紅葉が美しいと言われる国正町に位置しています。特に紅葉シーズンには、地蔵院から本堂へと続く145段の急な石段の両側に立ち並ぶ楓の大木が、鮮やかな赤色に染まります。地蔵院の屋根を背景に映える真っ赤な楓の葉は、まるで絵画のような美しさを誇り、毎年多くのカメラマンや観光客が訪れます。

奥山寺の歴史と由来

奥山寺の起源は、白雉元年(650年)に遡ります。伝承によれば、法道仙人がこの地に飛来し、瑞雲がたなびくのを見てこの谷に入ったところ、聖徳太子の像を発見しました。その際、老人のお告げを受け、この地に奥山寺を建立したとされています。この寺院は、七堂伽藍を備え、特に姿のよい多宝塔(県指定文化財)を有することで知られています。

四季折々の美しさ

奥山寺は、春には桜、秋には紅葉が美しいことで知られており、四季折々の花々が境内を彩ります。また、裏山には四国八十八か所の石祠が並んでおり、毎月21日には弘法大師供養が行われています。自然と歴史が融合したこの寺院は、訪れる人々に安らぎと感動を与えています。

奥山寺の歴史的背景

創建と再興の歴史

奥山寺の創建は、白雉2年(651年)に法道仙人が孝徳天皇の勅願により行ったとされています。しかし、大宝3年(703年)に火災で伽藍を焼失し、その後、養老2年(718年)に行基が再興を果たしました。このように、奥山寺は度重なる災難にもかかわらず、歴史の中で再興され続け、現在の姿を保っています。

また、慶長6年(1601年)にも再び火災に見舞われましたが、慶長12年(1607年)に再建され、貞享4年(1687年)には修理が行われました。現在の本堂は、この修理の際に建て替えられたものであり、長い歴史を持つ貴重な建造物です。

奥山寺の伽藍と建造物

伽藍の配置と特徴

奥山寺の境内は、山間に位置しており、訪れる者はまず仁王門を通ります。境内には急な石段が続き、数段に分かれて整地されています。最も下には地蔵院と不動院という子院があり、不動院は現在では廃絶していますが、地蔵院は今もその姿を保っています。石段を上がった先に本堂があり、さらに石段を上ると、多宝塔がそびえ立っています。

主な建造物

本堂: 現在の本堂は貞享4年(1687年)に建立されたものであり、その歴史的価値からも注目されています。

多宝塔(兵庫県指定文化財): 宝永6年(1709年)に建立され、奥山寺を象徴する建造物として、多くの参拝者に親しまれています。

仁王門(加西市指定文化財): 18世紀中期頃に建立された仁王門は、奥山寺の入り口としてその威厳を示しています。

奥山寺の意義と地域との関わり

奥山寺は、真言宗高野山派の古刹として長い歴史を持ち、中世期には山岳寺院として大いに発展しました。また、近世初めには奥山寺村という一村を形成するほどの影響力を持っていました。現在も、塔頭跡と考えられる平坦面が残存しており、中世山岳寺院の空間構成を色濃く残しています。また、地域の宮大工である神田氏の特色が装飾や細部に見られるなど、地域色も反映された建造物群が存在します。

奥山寺は、中世的な空間を遺す景観と、地域宮大工の系譜を考える上で貴重な存在として評価されています。歴史的価値と地域文化の融合を体現するこの寺院は、訪れる人々にとって深い感銘を与える場所です。

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名称
奥山寺
(おくさんじ)

明石・加古川

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