明石焼の歴史
天保年間に生まれた庶民の味
明石焼の起源は、江戸時代後期の天保年間(1830年~1843年)にさかのぼるといわれています。当時、明石では「明石珠(あかしだま)」と呼ばれる工芸品が作られていました。これは、卵白を使って作る人工の珊瑚の代用品で、その生産過程で大量の卵黄が余っていました。
そこで、余った卵黄を活用するために考案されたのが「玉子焼」です。小麦粉にじん粉(浮粉)を混ぜ、卵とだし汁をたっぷり加えて生地を作り、地元で獲れるタコを入れて焼き上げるというシンプルな調理法は、現在の明石焼にも受け継がれています。
「明石焼」という名称の誕生
もともと「玉子焼」と呼ばれていたこの料理が「明石焼」として知られるようになったのは、比較的最近のことです。昭和63年(1988年)ごろ、明石市の職員が観光PRのために「明石焼」という名称を提案し、これが全国的に広まりました。
現在も明石の人々の間では「玉子焼」という呼び名が一般的ですが、観光客向けの店舗では「明石焼」の名称を使うことが多くなっています。
明石焼の特徴とたこ焼きとの違い
生地の違い
明石焼の生地には、小麦粉に加えて「じん粉(浮粉)」が使用されます。じん粉は小麦でんぷんの一種で、生地をよりふんわりと柔らかく仕上げる役割を持っています。また、卵の使用量が多いため、生地の色が黄色みを帯びているのも特徴です。
焼き方の違い
- 明石焼は銅製の専用鍋を使い、鍋のくぼみはたこ焼き用よりも浅い。
- 焼き上がりは完全な球形ではなく、やや楕円形になる。
- 焼く際には菜箸を使用し、金属製の器具は用いない。
- 焼き鍋にひく油には、胡麻油を使う店もある。
食べ方の違い
たこ焼きはソースやマヨネーズをかけて食べるのが一般的ですが、明石焼は温かいだし汁に浸して食べます。だし汁は、昆布やかつお節を使って取られ、上品な風味が特徴です。
また、店舗によってはタコの代わりに明石名産の穴子を具材として使用することもあります。
明石焼の食文化と地域差
明石の専門店と人気スポット
明石市内には数多くの明石焼専門店があり、特に明石駅南側の「魚の棚(うおんたな)」商店街周辺が有名です。観光客の多くがここを訪れ、明石焼を味わいます。
古くから営業している店舗では、明石焼専門ではなく、お好み焼きや焼きそばと一緒に提供するスタイルも見られます。一人前の個数は8個から12個程度が一般的で、銅板の焼き鍋1つ分を「一鍋(ひとなべ)」と呼ぶこともあります。
関西圏での食べ方の違い
明石市の西部や姫路市では、明石焼にソースを塗った上で、だし汁につけて食べるスタイルもあります。この地域独自のアレンジが広がり、多様な食べ方が楽しまれています。
観光客向けの「明石焼」と地元民の「玉子焼」
「明石焼」という名称は観光向けに普及したもので、地元の年配者の間では「玉子焼」または「タマヤキ」と呼ぶこともあります。地元の寺町(大観校区)にある店舗では、現在でも「タマヤキ」の呼称が通じるほどです。
明石焼の作り方
基本的な材料
- 小麦粉
- じん粉(浮粉)
- 卵
- だし汁(昆布やかつお節)
- タコ(または穴子)
調理方法
- 小麦粉とじん粉を混ぜ、卵とだし汁を加えて生地を作る。
- 専用の銅製鍋を熱し、油をひいて生地を流し込む。
- タコを入れ、菜箸を使いながら形を整えつつ焼く。
- 焼き上がったら、木製の板に盛り付ける。
- 温かいだし汁につけて食べる。
まとめ
明石焼は、明石市が誇る伝統的なご当地グルメであり、大阪たこ焼きのルーツの一つとされています。卵をふんだんに使ったふわふわの生地と、出汁に浸して食べる独特のスタイルは、多くの人々を魅了し続けています。
明石の商店街には多くの専門店があり、観光客にも人気のスポットとなっています。明石を訪れた際は、ぜひ本場の明石焼を味わってみてください。