神社の概要
日岡神社は、兵庫県南部の加古川左岸の丘陵「日岡」の南麓に位置します。この「日岡」は、古くから「加古」と呼ばれる一帯の地名の由来にも関連しており、神社の歴史は奈良時代までさかのぼります。『播磨国風土記』には「日岡の神」としてその記述があり、古代から信仰の対象とされてきました。
現在、日岡神社は東播磨地域で広く信仰される安産の神社として知られています。これは、祭神である天伊佐佐比古命が、播磨稲日大郎姫命(第12代景行天皇の皇后)の安産を祈願したという伝承に基づいています。
祭神について
日岡神社の主祭神は天伊佐佐比古命(あめのいささひこのみこと)です。その他にも、豊玉比売命(とよたまひめのみこと)、鸕鶿草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)の5柱が祀られています。
古代の記録によると、祭神は時代とともに変遷してきました。『播磨国風土記』には、伊波都比古命(いはつひこのみこと)が日岡に坐す神として記されていますが、『延喜式』神名帳には「天伊佐佐比古神」が祭神として記されています。この天伊佐佐比古神が具体的にどのような神であるかについては、文献に詳しく残っていないため、不明な点も多いですが、現在では安産の神として信仰されています。
神社の歴史
創建と伝説
日岡神社の創建は不詳ですが、社伝によれば、神武天皇の東征の際に荒振神を退治するために建立されたとされています。天平2年(730年)に創建されたという説もあります。
境内は、日岡山の南麓に位置しており、古墳時代前期から中期にかけての古墳群が点在しています。その中でも代表的な日岡陵古墳は、景行天皇皇后である播磨稲日大郎姫命の陵とされ、古代からの歴史を物語っています。
歴史的な記録
『播磨国風土記』には、霊亀元年(715年)頃の成立とされる賀古郡条に日岡神社の神についての言及が見られます。また、『延喜式』神名帳(927年)には「日岡坐天伊佐佐比古神社」として、式内社に列せられています。天正6年(1578年)には兵火によって社殿が焼失したため、以前の記録は残っていません。
江戸時代には、池田輝政から社領の寄進を受け、地域における重要な神社としての地位を確立しました。その後、明治維新後には郷社に列し、現代に至るまで多くの信仰を集め続けています。
五ヶ井建設伝説
江戸時代に編纂された「五ヶ井由来記」には、日岡神社の神である日向明神と聖徳太子が共同で加古川左岸の五ヶ井用水を築いたという伝説が残されています。この伝説は、日岡神社の神主であった文観房弘真が修築事業を行ったという歴史的事実が、後世に伝説化したものであるとも考えられています。
境内の施設
社殿
現在の社殿は、昭和46年(1971年)に再建されたもので、鉄筋コンクリート製の権現造です。現代的な建築技術を用いた堅牢な構造を持ち、古来の信仰の場としての威厳を保っています。
摂末社
日岡神社の境内には、以下の摂末社が鎮座しています。
- 居屋河原日岡神社(大鳥居神社):祭神は天伊佐々彦命で、加古川市内から昭和46年(1971年)に遷座されました。
- 高御位神社:祭神は大己貴命・事代主命で、本社の右後方に鎮座しています。
- 天満神社:祭神は少名毘古那命・菅原道真で、本社の左横に鎮座しています。
- 恵美須神社:祭神は蛭子命で、本社の左横に鎮座しています。
- 稲荷神社:祭神は保食神で、本社の左横に鎮座しています。
- 住吉神社:祭神は上筒男命・中筒男命・底筒男命で、境内入口付近に石祠が鎮座しています。
- 熊野神社:祭神は伊弉諾尊・伊弉册尊で、境内入口近くに石祠が鎮座しています。
随身門と大鳥居
随身門や大鳥居などの建造物も境内にあり、訪れる人々を迎え入れる重要な役割を果たしています。
日岡神社は、古代から現代まで続く長い歴史と信仰を持つ神社であり、その存在は地域の文化や信仰の一端を担っています。参拝者は、この神聖な場所で歴史と向き合いながら、現代においてもその恩恵を受けることができるでしょう。