地理と交通
沼島は、独特の勾玉形をした島で、北西側の中心部に漁業を主体とする集落と沼島漁港があります。対岸の南あわじ市灘土生の土生(はぶ)港とは、沼島汽船の定期船「しまかぜ」と「しまちどり」で結ばれています。
島の全体が三波川変成帯の結晶片岩で構成されており、特に南岸の海食崖には、緑や白、黒などの縞模様が見られます。この地形は釣りの名所としても知られています。
島の歴史
沼島は、江戸時代末期には漁業や海運業で最も栄えていました。1955年頃には約2,500人の人口を擁していましたが、その後は急速に人口が減少しました。歴史的には、幕末時点で三原郡沼島浦として存在し、阿波徳島藩の領地でした。明治時代の廃藩置県により徳島県、その後、名東県を経て、最終的には兵庫県に編入されました。
1889年には沼島浦が自治体としての沼島村を形成しましたが、1955年には南淡町に合併され、2005年には南あわじ市の一部となりました。
国産み神話と沼島
日本神話の『古事記』や『日本書紀』によれば、沼島は国産み神話に深い関わりがあります。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二神が、天上から「天沼矛(あめのぬぼこ)」で海をかき回し、滴り落ちた潮が凝り固まってできた島が「オノゴロ島」とされます。沼島には、この神話に関連する奇岩「上立神岩(かみたてがみいわ)」があり、「天の御柱」として信仰の対象となっています。
また、沼島にはおのころ神社があり、天地創造の神である伊弉諾尊と伊弉冉尊が祀られています。この神社は小高い山の上にあり、この山全体が神体山とされています。
沼島の経済と産業
沼島の経済は、主に漁業と観光業に支えられています。沼島漁港は兵庫県管理の第2種漁港であり、アジやイカ、タチウオなどが水揚げされます。2008年の水揚げ量は557トンで、登録漁船数は128隻です。
また、沼島からは対岸の灘地区との間に送水管と送電線が敷設され、島民の生活を支えています。
沼島と山神組
明治時代末から大正時代にかけて、沼島出身の山野音吉と鶴松親子、そして大阪・ざこばの鮮魚商であった神平商店が共同出資して設立した「山神組」は、日本有数の水産会社として成長し、後に「日本水産株式会社」(現・ニッスイ)へと発展しました。山神組は、九州から朝鮮までの海域で水揚げされた鮮魚を、東京や京阪神、さらには中国・上海まで卸していました。
観光と見どころ
沼島には多くの自然景観や歴史的なスポットが点在しています。特に、島の南側の海岸線には、上立神岩や屏風岩、あみだバエなどの奇岩があります。上立神岩は高さ約30mで、「天の御柱」とも呼ばれています。また、この地域はウミウやヒメウの越冬地としても知られ、1971年には兵庫県の天然記念物に指定されました。
おのころクルーズとレンタサイクル
観光客は「沼島おのころクルーズ」で島の周囲を巡ったり、レンタサイクルを利用して島内を探検することができます。また、沼島海水浴場では、夏のレジャーを楽しむことができます。施設にはシャワーやトイレも完備されています。
島内の施設と飲食
沼島にはコンビニはありませんが、「吉甚」(よしじん)をはじめとする個人商店や飲食店が数軒あります。宿泊施設も整っており、旅館や民宿が3軒営業しています。島内では、地元の新鮮な食材を使った料理が楽しめます。
沼島庭園と八角井戸
沼島には、兵庫県下最古の石組み庭園である「沼島庭園(伊藤邸)」があります。この庭園は別名「鶴亀庭園」とも呼ばれ、足利義稙が沼島に逗留した際に作庭されたと伝えられています。また、島内には珍しい八角形の井戸「八角井戸」が存在し、その美しい構造が観光客に人気です。
補陀落山 観音寺
補陀落山 観音寺は、淡路西国三十三ヶ所巡礼の一つであり、多くの参拝者が訪れる場所です。この寺院は、沼島の精神的な中心としても機能しており、古くから地域の人々に信仰されています。
沼島は、自然の美しさと豊かな歴史が融合した魅力的な島であり、訪れる人々に多くの感動を与えてくれます。静かな環境と、伝統的な日本の文化に触れることができるこの島は、訪れる価値のある場所です。