歴史
寺伝によれば、奈良時代に聖武天皇の勅願により、勝道上人が全国各地に「満願寺」を創建したとされます。当寺はその中の一つで、摂津国の満願寺とされています。
神秀山の名の由来については、『摂陽群談』によると、スサノオノミコトが高天原から出雲国に追放された際、最初に地上に降り立った山であることから名付けられたとされています。
平安時代中期には、源満仲が満願寺を信仰し、その後、源氏一門の祈願所として栄えました。また、鎌倉時代には後醍醐天皇の勅願寺とされ、室町時代には足利将軍家の祈願所ともなり、最盛期には四十九の子院が存在していました。しかし、戦国時代には兵火により衰退しました。
江戸時代の宝暦6年(1756年)には、円覚院、龍池院、西芳院、新坊などの子院が二十近く存在しましたが、次第に衰退し、明治時代には現在の本坊である円覚院を残すのみとなりました。
山門にある仁王像は、多田院が神仏分離によって多田神社になった際に移されたものです。また、源頼光の家来であった坂田金時の墓もこの寺院にあります。
境内
満願寺の境内には、数多くの歴史的建造物や文化財があります。
金堂
金堂は、承応2年(1653年)に再建されました。元は子院であった円覚院の常行堂で、本尊の開眼阿弥陀如来は勝道上人の作とされています。
毘沙門堂
毘沙門堂は1985年(昭和60年)に建立され、本尊は源満仲が自ら作ったと伝えられる毘沙門天像です。扁額「毘沙門天王」は、日本書道界の第一人者であった川村驥山の筆によるものです。
九重石塔
九重石塔は正応6年(1293年)に造立されたもので、重要文化財に指定されています。
源氏の墓
境内には、源賢、美女丸、幸寿丸、藤原仲光などの墓があり、これらは川西市の指定史跡となっています。また、源家の七塔や、源国房、源光国、源明国、源仲政、源国直、源行国、源国基の供養塔もあり、これらも川西市の指定史跡です。
その他の建造物
晴雲堂(納骨堂)や八幡宮、稲荷社(祭神:荼枳尼天)、坂田金時の墓、金時の兜石、四国霊場八十八ヶ所巡拝路、せんじゅ桜の庭、観音堂、子安地蔵尊、鐘楼など、多くの歴史的な建造物が点在しています。観音堂は寛文8年(1668年)に再建され、もとは奥の院にあったものが1884年(明治17年)に現在地に移転しました。天井の龍図は狩野義信の筆によるものです。
本坊とその他の施設
本坊(旧円覚院)は、源満仲の妻であり源賢の母(源俊の娘)が創建しました。1898年(明治31年)より本坊として使用されています。庫裏や書院(寛政10年(1798年)頃の建立)もあり、庭園は川西市指定史跡となっています。庭園も同じく寛政10年頃に作庭されました。
山門(仁王門)は1881年(明治14年)に再建され、非常に独特な造りをしています。祀られている金剛力士像は、1871年(明治4年)に多田院が多田神社となった際に移されたものです。
文化財
満願寺には多くの重要な文化財があります。
重要文化財
- 石造九重塔
兵庫県指定有形文化財
- 満願寺本堂内宮殿
- 木造千手観世音菩薩立像(平安時代中期)
- 木造聖観音菩薩立像(平安時代前期)
- 木造十一面観音菩薩立像(平安時代末期)
- 木造金剛力士立像(鎌倉時代末期)
川西市指定有形文化財
- 毘沙門天立像
- 大般若経 600巻
川西市指定史跡
- 満願寺書院庭園
- 満願寺五輪塔群
川西市指定天然記念物
- 満願寺の樹林
交通アクセス
満願寺へは、阪急宝塚線 雲雀丘花屋敷駅から阪急バス150系統満願寺線「愛宕原ゴルフ場」行きで約10分、「満願寺」バス停下車後、徒歩2分で到着します。
満願寺はその歴史的価値と美しい境内で、多くの参拝者や歴史愛好家にとって魅力的な場所です。歴史と自然が調和したこの地で、心静かなひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。