城の歴史と概要
伊丹城の築城
伊丹城は南北朝時代に摂津国人の伊丹氏によって築かれました。文明4年(1472年)には大規模な改修が行われ、この時に日本最古の天守台を持つ平城として知られるようになりました。天正2年(1574年)11月15日、荒木村重によって攻め落とされた後、伊丹城は大改修を受け、名称も有岡城へと改められました。
有岡城の改修と落城
改修後、有岡城は荒木村重の手により堅固な城郭へと生まれ変わりましたが、村重が織田信長に対して謀反を起こしたため、天正7年(1579年)に信長軍による攻撃を受け、最終的に落城しました。この時の戦いについては「有岡城の戦い」として知られています。
城郭の構造と遺構
城の範囲と配置
有岡城は南北1.7km、東西0.8kmにわたる広大な範囲を有しており、本丸は城の東側、現在のJR伊丹駅付近に位置していました。城の防御には、北に「きしの砦」(現・猪名野神社付近)、西に「上臈塚砦」(現・墨染寺付近)、南に「鵯塚砦」という3つの砦が重要な役割を果たしていました。
総構えの構造
総構え(惣構)とは、城郭を囲む堀と土塁で構成され、内部には街屋敷や町屋が配置された防御帯を備えた構造です。有岡城の総構えは荒木村重の改修により完成し、東西0.8km、南北1.7kmにわたる広範なエリアを囲む形で構築されました。この堅固な構造は、織田信長の大軍による一年に及ぶ攻撃にも耐えるほどの強度を誇っていました。
現存する遺構
現在、有岡城跡では以下の遺構が確認されています。
- 石垣: 1976年の発掘調査により、城郭として最古の石垣と断定されています。石垣には五輪や供養塔の石も使用されています。
- 土塁: 城の防御を支えた土塁が一部残っています。
- 井戸跡: 本丸内の井戸跡が確認されています。
- 堀跡: 城を守るために設けられた堀の跡が見られます。
アクセス情報
城跡の所在地
有岡城跡は現在、有岡公園として整備されており、以下の場所に各砦や遺構が点在しています。
- 本丸跡: 兵庫県伊丹市伊丹2丁目(JR伊丹駅西側、有岡公園内)
- 岸の砦跡: 兵庫県伊丹市宮ノ前3-6-1(猪名野神社境内西側)
- 鵯塚跡: 兵庫県伊丹市伊丹7丁目(有岡小学校南側)
交通アクセス
有岡城跡へのアクセスは以下の通りです。
- JR伊丹駅から: 駅から徒歩ですぐに到着できます。
- 中国自動車道・中国池田ICから: 車で約15分の距離です。
- 市営宮ノ前駐車場: 近隣には駐車場が整備されています。
伊丹城に関するエピソード
黒田孝高の幽閉
有岡城には、織田信長の家臣であった黒田孝高(如水・官兵衛)が幽閉されていたことで知られています。彼は約1年間、この城内にある牢に閉じ込められていました。
荒木村重の逸話
城主の荒木村重は、織田信長に対する謀反を起こし、家宝の茶壺「兵庫」を背負い、名鼓「立桐筒」を腰に結わえ、少数の家臣と共に尼崎城へ移りました。その後、有岡城は内応により落城しましたが、この行動には毛利氏との連絡を図るためという説もあります。
猪名野神社の紋章
現在、猪名野神社には織田家の家紋である「織田木瓜」が掲げられており、これは荒木村重が織田家に従っていたことを示しています。
ルイス・フロイスの記録
1577年にポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが有岡城を訪れた際、「甚だ壮大にして見事なる城」と記しています。彼の記録は、有岡城の壮大さを物語る貴重な証言です。
俳人・鬼貫の句
伊丹の俳人である鬼貫は、「古城や茨くろなる蟋蟀(きりぎりす)」という句を残しており、これは廃城後の伊丹城の姿を詠んだものとされています。
関連作品とその影響
小説「黒田如水」
吉川英治の小説『黒田如水』は、豊臣秀吉の片腕として活躍した如水の半生を描いており、彼が伊丹城に幽閉されていたエピソードも詳細に描かれています。
小説「反逆」および「黒牢城」
遠藤周作の『反逆』や米澤穂信の『黒牢城』など、多くの小説でも有岡城の歴史や荒木村重の謀反が描かれており、歴史的な背景とドラマチックな展開が多くの読者に感動を与えています。
ショッピングモール「アリオ」
JR伊丹駅の西側にあるショッピングモール「アリオ」は有岡城にちなんだ名称です。