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甲山

(かぶとやま)

兵庫県西宮市西北部に位置する甲山は、古い火山の痕跡を残す山です。この山は、1200万年前に噴火したとされ、現在でもその歴史的な地質構造が興味深い対象となっています。甲山の標高は309.3メートルで、六甲山系の南東部から少し離れた位置に孤立しており、特徴的な円錐形の山容が目を引きます。

甲山の地質と形成過程

甲山の岩質は輝石安山岩で構成されており、隣接する六甲山の花崗岩(いわゆる御影石)とは異なる形成過程を経ています。1200万年前に活発な火山活動を行っていた甲山は、当時はもっと大きな山体を持っていましたが、約200万年間の活動が終息し、その後の侵食により現在のような塊状の形状が残るのみとなりました。

トロイデ式火山の誤解と修正

古くは甲山はトロイデ式火山の典型例とされていましたが、昭和30年代に進められた研究により、その形成過程が明らかになりました。南側斜面では甲山安山岩層が六甲山の花崗岩と接触する部分が露出しており、北側斜面では麓から260メートル付近まで花崗岩が確認できます。しかし、甲山のような比較的粘性の低い安山岩が鐘状火山を形成することに対する疑問が提起され、現在ではトロイデ火山ではなく、楯状火山に近いと考えられています。ただし、楯状火山は玄武岩質溶岩からなる大型火山を指すため、これも厳密には正確な分類ではありません。

甲山の名称と伝説

甲山の名称の由来には諸説があります。一般的には、山頂に大きな松の木が二本生えていて、その形状が兜に似ているため「甲山」と呼ばれるようになったと言われていますが、田岡香逸によると、元々は「神の山(コウノヤマまたはカンノヤマ)」と呼ばれていた可能性があるとされています。元亨釈書には、甲山は広田明神(廣田神社)の神奈備山と考えられており、古くから信仰の対象とされてきました。1974年には甲山で祭祀用の銅戈(どうか)が出土しており、西宮市立郷土資料館に西宮市指定重要文化財として所蔵されています。このことからも、甲山が古代から信仰の対象であったことがわかります。

甲山にまつわる伝説

また、甲山には神功皇后が如意宝珠や兜を埋めたという伝説が残されています。この伝説に基づき、甲山のどこかに宝が隠されているという俗説も地元で語り継がれてきました。さらに、明治時代初期には、神戸に来航した欧米人から「ビスマルク山」という俗名がつけられました。これは、19世紀のドイツ帝国の首相オットー・フォン・ビスマルクがかぶっていた三角形の帽子に甲山の形状が似ていたためです。

甲山周辺の名勝・施設

甲山周辺は、六甲山系の一部として、阪神地域から手軽にアクセスできるレジャースポットとして発展してきました。頂上にはオリエンテーリングのパーマネントコースが設置されており、弘法大師(空海)によって創建された鷲林寺も近くにあります。甲山は信仰の対象としても重要な位置を占めています。

関西学院大学と甲山

甲山の東南東に位置する関西学院大学では、校内の時計台が甲山を背景にした借景として設計されています。設計を手がけたのは、ウィリアム・メレル・ヴォーリズであり、この景観は大学の象徴として親しまれています。

甲山周辺の施設と歴史

甲山周辺には、神呪寺や廣田神社、兵庫県立甲山森林公園などの名勝があります。また、甲山の南方に位置する神呪寺の近くには、1798年に創設された甲山八十八ケ所があり、ここでは役行者が広田明神を感得した場所とされています。昭和時代には、甲山にロープウェイを設置する計画がありましたが、市民の反対運動により実現しませんでした。

有岡城の戦いと甲山

歴史的には、甲山は有岡城の戦いの際にも重要な役割を果たしました。天正6年(1578年)、織田信長が有岡城の近くに本陣を構えた際、甲山には百姓たちが避難していましたが、信長の命令で彼らは追い払われたという記録が残っています。

交通アクセス

甲山へのアクセスは、以下の通りです。

作品における甲山

甲山は、唱歌「阪神電車唱歌」(1908年、作詞:大和田建樹・作曲:田村虎蔵)にも登場します。この歌では、甲山からの美しい景観が描かれており、阪神地域を代表する山として歌われています。

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甲山
(かぶとやま)

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