公園の概要
芦屋公園は、地域住民に親しまれる憩いの場として知られており、さまざまな施設が整備されています。公園内では、家族連れや子どもたちが楽しめる遊具やスポーツ施設があり、四季折々の自然を楽しむことができます。
芦屋公園の沿革
大正時代の歴史
芦屋公園の歴史は大正時代に遡ります。この時期に鵺塚(ぬえづか)が建立され、地域の歴史や文化に深く関わる場所としての役割を果たしてきました。
昭和時代の発展
1956年(昭和31年)には、芦屋公園内に庭球場が開設され、同年の第11回国民体育大会では硬式庭球競技大会が開催されました。また、1973年(昭和48年)7月7日には、公園内に「日中友好平和の塔」が建てられ、国際的な友好関係の象徴としても知られています。
公園内の施設
芦屋公園には、訪れる人々が楽しめる多彩な施設が整備されています。
- ブランコ
- 滑り台
- ジャングルジム
- うんてい
- 複合遊具
- 健康遊具
- トイレ(障害者用、オムツ替えスペースあり)
- ベンチ
- テニスコート
- 会議室(有料)
- 駐車場
- 石碑
ぬえ塚
公園内には、鵺(ぬえ)にまつわる伝説が残る「ぬえ塚」があります。源頼政が二条城で暴れていた怪獣鵺を射殺し、その死体が桂川を流れて芦屋の浜辺に辿り着きました。地元の浦人たちは恐れをなして塚を築き、これが「ぬえ塚」となりました。この塚は1917年(大正6年)に建立され、現在でも地域のシンボルとなっています。
猿丸君彰功碑
1930年(昭和5年)には、「猿丸君彰功碑」が建立されました。この碑は、芦屋川の改修や農地整理、JR芦屋駅の創設など、芦屋地区の発展に大きく貢献した猿丸安明の功績を讃えるものです。碑には、当時の政治家である犬養毅のサインが刻まれています。
句碑
芦屋市出身の俳人である稲畑汀子が、阪神・淡路大震災について詠んだ句が刻まれた句碑も公園内にあります。その句は「震災に 耐へし芦屋の 松涼し」であり、震災の記憶を後世に伝える大切な碑の一つとなっています。
日中友好平和の塔
1973年(昭和48年)7月7日、日中友好平和の塔建設委員会によって「日中友好平和の塔」が建設されました。これは、1972年の日中国交回復を記念して建てられたもので、日中両国の友好関係を象徴するモニュメントです。
交通アクセス
芦屋公園へのアクセスは非常に便利です。阪神電車の芦屋駅から徒歩5分ほどの距離に位置しており、気軽に訪れることができます。地元の人々はもちろん、観光客にも訪れやすい場所となっています。
まとめ
芦屋公園は、豊かな自然と歴史的な背景を持つ都市公園として、多くの人々に親しまれています。公園内には、ぬえ塚や日中友好平和の塔など、地域の歴史や国際的な友好関係を象徴する施設が点在しており、訪れる人々に多くの感慨を与えます。芦屋を訪れる際には、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。