寺院の概要
如来院は、歴史的な背景と宗教的な意義を持つ寺院です。御詠歌「身と口とこゝろの外の弥陀なれば われをはなれてとなへこそすれ」は、仏教の深い信仰を象徴しています。
如来院の歴史
天平年間の創建
如来院の起源は天平年間(729年-749年)に遡ります。聖武天皇の勅願により、行基が建立した49院の一院として、当初は摂津国神崎に位置し、天皇の厄除けを祈願するため釈迦を本尊として祀りました。創建当時の寺院名は「徧照寺」もしくは「神崎釈迦堂」と称されていました。
法然上人と如来院の縁
建永2年(1207年)、法然が讃岐遠流の途中、神崎を訪れ、そこで5人の遊女を帰依させたという伝承があります。法然が授けた念仏を唱えた遊女たちは、後に神崎川に入水し、その遺骸は遊女塚として祀られました。この縁から、如来院は法然の遺物や遊女たちの遺髪を今なお大切に保管しています。
移転と寺号の改称
永正14年(1517年)、神崎の洪水で釈迦堂が流失したため、如来院は新たに善光寺式如来を模した阿弥陀如来を本尊として安置し、寺名を如来院と改めました。その後、永正17年(1520年)には大物城主・細川高国の命により、当寺は城内(大物)に移転されました。元和年間(1615年-1624年)には、尼崎城の築城に伴い、現在の寺町へ再び移転され、今日に至っています。
如来院の文化財
如来院には、歴史的価値の高い文化財が多く残されています。
本堂(尼崎市指定文化財)
本堂は、元禄9年(1696年)に建立された寄棟造の木造銅板葺の建物です。内陣には阿弥陀如来を本尊とし、善導・円光両大師などが安置されています。天井には、大岡春卜の門弟とされる絵師・江阿弥(卜信)による龍図が描かれており、これは宝暦3年(1753年)の作です。この本堂は、総円柱を採用した珍しい遺構として知られています。
表門(尼崎市指定文化財)
表門は、本堂と同時期の17世紀末頃に建築された切妻造の木造瓦葺の薬医門です。棟札には本堂の建立年などが記録されており、文化財として重要な価値を持っています。
銅鐘(梵鐘・尼崎市指定文化財)
銅鐘は、応永32年(1425年)に鋳造された青銅製の鐘で、高さ89.8cm、口径は南北52.9cm、東西52cmです。この鐘が如来院に渡るまでの詳しい経緯は不明ですが、嘉吉3年(1443年)に京都府内の土倉から購入され、丹波国桑田郡の西楽寺に移されたことが確認されています。
鐘楼
鐘楼は、本堂南西に位置し、銅鐘が吊られています。建立時期は不詳ですが、その形式から江戸時代後期のものと推定されています。
石造笠塔婆(尼崎市指定文化財)
石造笠塔婆は、花崗岩製の供養碑で、高さは184.8cmに及びます。嘉暦2年(1327年)に建立され、当時の石造美術の代表的な遺品として評価されています。
地蔵堂(納骨堂)
地蔵堂は、本堂の南東に位置し、木造銅板葺の建物です。本尊は、宝暦5年(1755年)に建立された石造の地蔵菩薩です。
交通アクセス
如来院へのアクセスは、阪神尼崎駅から西へ徒歩約8分となっています。
まとめ
如来院は、法然上人ゆかりの寺院として、浄土宗の信仰を集め、また数々の文化財が保存されている歴史的な寺院です。兵庫県尼崎市を訪れる際には、ぜひその静かな佇まいと豊かな歴史に触れてみてください。