歴史
開創と発展
高源寺は、正中2年(1325年)、遠谿祖雄(えんけいそゆう)禅師によって開かれた臨済宗中峰派の本山です。
遠谿祖雄禅師は、嘉元4年(1306年)に元(中国)に渡り、杭州の天目山で中峰明本(普応国師)に約10年間師事。その後、帰国し、霊夢で得た天目山に似た地である「丹波国氷上郡(現・兵庫県丹波市)佐治郷小倉」に堂宇を建立しました。これが高源寺の創建と伝えられています。
正中3年(1326年)には後醍醐天皇より「高源寺」の寺号を賜りました。後に、甲斐国(現・山梨県)の天目山栖雲寺を「東天目」、高源寺を「西天目」と称するようになります。
戦国時代と再興
永正15年(1518年)、後柏原天皇の勅願所(勅願寺)となり、その住職は末代に渡って紫衣を許される特権を得ました。これにより全国に末寺を持つ大本山として発展します。
しかし、戦国時代には織田信長の命を受けた明智光秀の丹波攻めにより、当寺も焼失の憂き目に遭いました。その後、江戸時代の享保年間(1716年 - 1736年)初めに天岩明啓禅師によって再興されます。
寛政2年(1790年)には弘巌玄猊禅師が柏原藩の援助を受け、多宝塔を建立するなどの復興事業を行いました。文化4年(1807年)には光格天皇より弘巌玄猊禅師に紫衣が下賜される栄誉を受けています。
平成28年(2016年)には、光格天皇から弘巌玄猊禅師に下賜された掛け軸や硯などが、禅師の実家から高源寺に寄贈されました。
境内
高源寺の境内には、多くの歴史的建築物が点在しています。特に秋には紅葉に彩られ、美しい風景を楽しむことができます。
主要な建築物
仏殿(法王殿)
本堂にあたり、享保5年(1720年)頃に天岩明啓禅師によって再建されました。本尊は釈迦如来坐像で、天台宗の恵心僧都源信の作と伝えられています。また、本尊に向かって左には後醍醐天皇の法衣姿の像、右側には地方大名などの位牌が安置されています。
多宝塔
外観は三重塔のように見えますが、内部には「輪蔵(りんぞう)」と呼ばれる経典を納める構造になっています。正面にはインドの毘須鳩摩の作とされる「開運毘沙門天」が祀られています。寛政2年(1790年)頃に弘巌玄猊禅師によって建立されました。
山門(紫鳳楼)
寛政2年(1790年)頃に弘巌玄猊禅師によって再建されました。二階にはお釈迦様と十六羅漢が祀られ、天井には天女や経典の画が描かれています。
惣門
弘巌玄猊禅師が柏原藩の支援を受けて建立した門です。正面の額「丹丘勝処(たんきゅうしょうしょ)」は弘巌玄猊禅師の筆によるものです。
鐘楼
寺院の行事の際に撞かれる鐘楼です。戦時中に供出された後、昭和22年(1947年)に新たに鋳造されました。
文化財
重要文化財
- 絹本著色普応国師像 1幅
丹波市指定有形文化財
- 絹本著色妙音弁才天像 1幅
- 絹本著色霊夢弁才天像 1幅
- 紙本墨画十六羅漢像 7幅
- 袈裟 1肩
- 雪巌租欽墨蹟 1幅
- 高峰原妙墨蹟 1幅
- 中峰明本墨蹟 1幅
丹波市指定名勝
- 高源寺境内
アクセス
周辺からのアクセス
道の駅あおがきより: 車で約10分
主要都市からのアクセス
大阪方面より: 舞鶴若狭自動車道「春日IC/JCT」経由、北近畿豊岡自動車道「青垣IC」より車で約10分
岡山方面より: 播但連絡道路「和田山IC/JCT」経由、北近畿豊岡自動車道「青垣IC」より車で約10分