歴史と起源
春日神社の起源は、平安時代初期の貞観18年(876年)にさかのぼります。当時、日置荘を領有していた藤原基経とその子藤原時平が、奈良・春日大社より氏神として分霊を迎え、現在の篠山城がある黒岡村南部の小山(当時は「笹山」と呼ばれていました)に勧請したのが始まりです。後に慶長14年(1609年)、篠山城築城の際に現在の地に遷されました。
能楽殿とその歴史的価値
文久元年(1861年)の寄進と能舞台
春日神社の境内にある能楽殿は、文久元年(1861年)、篠山藩第13代藩主である青山忠良によって寄進されました。青山忠良は能楽愛好家としても知られており、彼が寄進したこの能舞台は「箱根より西でこれほど立派な能舞台はない」と評されるほどのものでした。建築は稲山嘉七と永井理兵衛が担当し、舞台背景の松の絵は松岡曾右衛門によって描かれています。
能舞台の床下には、音響効果を高めるために丹波焼の大甕が7個埋められており、この設計の完璧さは全国でも屈指のものとされています。この能舞台は、昭和52年(1977年)3月29日に県指定有形文化財に、そして平成15年(2003年)5月30日には国の重要文化財に指定されました。
翁奉納と篠山春日能
春日神社では、毎年1月1日に「翁奉納」が行われ、また桜の咲く4月上旬には「篠山春日能」が開催されます。これらの行事は、能舞台での演能として、地域の古典文化を支える重要なイベントとなっています。能楽殿は、その歴史的価値と共に、篠山の歳時を飾る象徴的な場所です。
秋の祭礼と鉾山巡行
秋の祭礼と神輿
毎年10月の第3土・日には、秋の祭礼が行われます。この祭礼では、京都の祇園祭を模した4基の神輿や、華麗な装飾が施された9基の山鉾が巡行します。篠山の古い町並みを練り歩くその光景は、笛や鐘の囃子が響き、小京都の雰囲気を色濃く残しています。特にこの山鉾巡行は、京文化の影響を強く受けており、丹波篠山ならではの情緒を感じさせます。
鉾山の特徴と歴史
鉾山は、初期には小型で簡素なものでしたが、江戸時代中期頃には現在の規模となり、その華麗さを増しました。最も古い鉾山は、1663年(寛文3年)に作られた三笠山(上河原町)で、現在でも篠山市指定文化財となっています。これらの鉾山は、京都の祇園祭に強い影響を受けながらも、篠山独自の文化を反映したものとなっています。
神社の文化財と建築物
重要文化財と県指定文化財
春日神社の能舞台は、国の重要文化財に指定されており、その歴史的価値は高く評価されています。また、丹波篠山市指定文化財として「黒神馬」が指定されており、この絵馬には特別な伝説が伝わっています。この馬が夜な夜な絵から抜け出し、黒岡の田畑の豆を食い荒らしたという言い伝えから、絵馬には金網が張られていました。この「黒神馬」の絵馬は、精緻な作りとその価値が高いことから、多紀名宝にも指定されています。
年間行事とその魅力
翁奉納と春日能
春日神社では、年間を通じてさまざまな行事が行われます。特に1月1日の「翁奉納」や、4月上旬の「春日能」は、多くの参拝者や観光客が訪れる重要な行事です。これらの行事は、篠山の伝統文化を現代に伝える重要な役割を果たしています。
秋の祭礼と鉾山巡行
10月第3土・日の秋の祭礼では、豪華な神輿や鉾山が町中を巡行し、篠山の町が活気づきます。この祭礼は、篠山の歴史と文化を象徴する行事であり、地域の人々にとって大切な伝統です。
交通アクセス
鉄道とバスでのアクセス
春日神社へのアクセスは、JR福知山線「篠山口駅」からウイング神姫(旧神姫グリーンバス)の「春日神社前」バス停で下車し、徒歩ですぐの場所にあります。また、自動車で訪れる場合も、篠山城周辺の駐車場を利用して、歴史と文化の薫る町並みを歩きながら神社を訪れることができます。