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八上城

(やかみじょう)

八上城は、兵庫県丹波篠山市にかつて存在した中世の城で、室町時代から戦国時代にかけて丹波国の国人である波多野氏の本拠地として知られています。この城は日本の伝統的な山城であり、現在は国の史跡に指定されています。別名「八上高城」とも呼ばれるこの城は、歴史的にも貴重な遺構を持つ場所です。

八上城の概要

八上城は、篠山盆地のほぼ中央南部に位置する高城山(標高460m)とその西隣にある法光寺山(標高340m)に築かれています。城は山陰街道を見下ろす位置にあり、戦略的にも非常に重要な場所にありました。主城と支城が城下町を挟むように配置されたこの城は、中世山城の典型的な特徴を持ち、その貴重な遺構が今でも残っています。

八上城の遺構

八上城は大規模な遺構を持ち、織豊期における改修は主に城の中枢部に限定されていました。帯曲輪や他の構造物は、中世の古い形態をそのまま残しており、戦国時代の山城としての特徴をよく表しています。

八上城の歴史

八上城の歴史は、応仁の乱で戦功をあげた波多野清秀が多紀郡郡代に就任し、15世紀末に多紀郡朝冶山に築城したことから始まります。その後、清秀の子である波多野元清は、八上城を本拠として丹波地方の豪族を討伐し、波多野氏の勢力を拡大していきました。

戦国時代の波多野氏と八上城

16世紀初頭、波多野氏は細川氏両家の内紛に巻き込まれ、高国派として反勢力と戦うことになりました。波多野氏は織田信長の命を受けた明智光秀による攻略にも抵抗しましたが、天正7年(1579年)に八上城は落城し、波多野氏は滅亡しました。この時の戦いでは、波多野秀治らが処刑され、波多野氏の時代は終わりを迎えました。

八上城の遺構とその価値

八上城は廃城となった後も、その古風な中世式の遺構が残る典型的な山城として知られています。2005年に兵庫県下では41件目の国の史跡に指定され、その保存状態の良さが高く評価されています。

八上城の戦略的価値

八上城は、山全体が要塞化されており、特に北西側が険しい地形を持つため、攻めにくく守りやすい城として知られています。また、東西に長く、南には細い尾根が続いており、城の防御力をさらに高めています。

主要な遺構

八上城には、郭、石垣、堀切、土塁、井戸、水堀、山頂部の曲輪などの遺構が残されています。特に本丸は約900平方メートルの広さがあり、二の丸、三の丸、岡田丸などの郭が連続して配置されています。

アクセス情報と所在地

八上城の所在地は兵庫県丹波篠山市八上上で、高城山に築かれています。地元では「丹波富士」とも呼ばれるこの山は、その美しい姿が富士山に似ていることからそう名付けられました。車でのアクセスは、舞鶴道の丹南篠山口ICから県道306号線を経由し、国道372号を利用します。近隣には駐車場はありませんので、注意が必要です。

登山道情報

八上城へは、春日神社口から右衛門コースを経由して山頂本丸まで徒歩約50分の登山道があります。高城山の標高は459mで、登山道は230mの標高差があります。

八上城の文化的価値

八上城は、戦国時代の典型的な山城としてだけでなく、その後の歴史的な経緯からも非常に貴重な文化遺産となっています。織田信長や明智光秀といった歴史上の人物との関わりや、多くの戦国時代の物語がこの城に関連していることから、現在でも多くの歴史愛好者や観光客が訪れる場所です。

Information

名称
八上城
(やかみじょう)

丹波篠山

兵庫県